「うか」105 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 暖冬の今年とはまるで違う、真冬の、特別寒いある朝のこと、わたしは右手に白杖、左手に資源ゴミをいっぱい持って家を出た。まず近くの公園入り口に決められている資源ゴミ集積所に、この重たい点字の雑誌や種々雑多な書き損じや手紙などを置いてから郵便局へ行く積もりだった。ところがいつもは少しは置いてある雑誌類の束が見つからない。「資源ゴミのなかま」は、かならずしもぴったり同じ場所にあるとはかぎらないのであちこち探した。そのうち公園の中に入り込んでしまったらしく、自分の居所がわからなくなってしまった。
 人も自転車も通らない。さて困った。この紙ゴミを家に持ち帰るのは億劫だ。かといってこの荷物を持ち歩くには重すぎる、などと心につぶやいていた。
 「あれ?いつもの道と違いますよ。公園の中ですよ」と声をかけてくださる女性がいた。「ああ、わたし、資源ゴミの置き場所を探しているうちに入り込んでしまったのですね。資源ゴミの置き場所を教えていただけますか?」とお願いした。
 どうやらこの方は、わたしが何時も公園の外周を歩いていることをよくご存じのようだ。
 「資源ゴミは出ていませんよ」とその方が言った。わたしが集める日を間違えたのだ。がっかりしているわたしに、その方は「これからどこへ行くのですか?」と聴いてくださった。「郵便局へ行きます」と言うと、「じゃあ、その袋をここへ置いてお行きなさい。帰りに持って行けばいいでしょう。もしゴミを集めに来なかったら、このベンチに置いといてあげますから」と言ってくださる。
「ああ、それはとてもありがたいのですが、帰りにまたこの袋を探すのが大変なので、やっぱり家に持帰って出直すことにします」と言うと、「郵便局はどのくらい時間がかかるの?」と聴いてくださる。「三、四十分かしら」
「ああ、わたしまだここに一時間はいるから、それ、置いていきなさい。あなたが帰ってきたとき、わたしから声をかけるから」と行き届いた優しい言葉にわたしは素直に甘えることにした。しかも、いつもわたしが歩いている道まで連れて行ってくださった。
 やれやれ、片手は重たい荷物が無くなり楽になりほっとして、郵便局へ行く信号を渡った。
「あら?木村さんおはようございます」と、かつてのガイドヘルパーボランティアの懐かしいKさんの声がした。「何処へ行くの?」
「郵便局です」
「今日は時間があるから送って行きましょう」と、またありがたい言葉。
 10分足らずの道を楽しく話ながら郵便局へ行くと意外に混んでいた。公園の人とのお約束があるので、順番を待ちながら久しぶりに話をしながらも気が気ではない。
 やっと局での用事が済んで、Kさんは家まで送ってくださると言う。
 わたしはちょっと申し訳ないと思いながらも、つい先ほどの公園での厄介な事情を話した。できたら公園へ寄ってベンチに置かれているはずの資源ゴミを見つけていただきたいとお願いした。
「あら、そんなこと大したことではないから行きましょう。そして何時ものエレベーターまでお送りすればいいのでしょ?」と心安く受け合ってくださった。
 ところが公園へ行ってみると、肝心なわたしの荷物が無い。ベンチ全部、木陰、滑り台の周り、あちこち探しても無いという。
 あの人がご自分の家に持ち帰ったのかしら?
 さてどうしよう、このまま帰っていいものか思案していると、
「あのう、資源ゴミを Nさんに頼んで行った人でしょう?」と若い女性が声をかけてきた。
「あ、はいそうです」と言うと、
「Nさんからことずかりました。収集には来なかったけど、Nさんが責任を持って今度出しておきますって」
「え?その方がお持ち帰りになられたのですか?」
「Nさんはこの公園の掃除をしているので、掃除道具などを入れる物置に置いてあります。わたしがテニスをまだ暫くやっているので、Nさんから引き継いだのです。Nさんとはよく話をしているのでご心配なく」と言う。
「ありがとうございました。で、おたくさまのお名前を教えていただけますか?今度お会いしてもわたしは分からないのでお礼も申しあげられないと思いますが…」
「ああ、そんなことかまいませんよ」
「Nさんにもどうぞよろしくお伝えください」と言ってわたしは、Kさんに送られて我が家へ帰ってきた。

 これは2、3年前の真夏の日盛りの中を歩いていたときのことである。普段あまり利用しない駅からの帰りで、ちょっぴり自信なく、用心深く歩いていた。すると、「お手伝いしましょうか?」と言って寄り添う女性がいた。わたしは自分が今いる位置の確認をした。「どちらへ?」と聴いてくださるので、「Y図書館があるところです」と言うと、
「わたしは最近こちらへ越してきたので、その図書館は分かりませんが、あなたは道が分かっていらっしゃるようですから、よかったらご一緒しましょうか?わたしはこの辺りを知りたくて散歩をしているので、時間は大丈夫です」とわたしを安心させてくださった。
 なんといっても人様と歩けば危険は避けられるので、今日もお言葉に甘えた。
「ああ、ここが図書館ですか。今日は川の方へ行ってみようと思います」と言うので、「でしたらこの道をこう行って…」なんて反対にわたしが方向だけをお教えしてお礼とさようならでお別れした。
 そして翌日、わたしは前日とは違う駅からの道を歩いていた。
 すると「あれ?こんなところまでいらしたの?ずいぶん遠くまで来られるのですね、昨日と違いますね」という声がした。
 わたしは一瞬昨日の方の声とは気づかず、あれ?わたしは迷ってしまったのかしら?と戸惑った。
「昨日の所へ行くのでしょう?一緒に行きましょう」と言ってくださった。そうして昨日わたしと出会ったところまで導こうとなさる様子を感じて、「ああ、こちらの駅から来た時はこの道の方が近いのです。」と言って自分がいつも行く道へと歩き始めると、その方も付いてきてくださり、間もなく「ああ、ほんとう、昨日の道へ出た」と小声で叫び、今日もエレベーターまでエスコートしてくださった。
なんとおおらかで優しい方だろう。

 風雨の中の歩きも難儀することがある。
 激しい風雨の中、信号を渡りながら傘がオチョコになってしまい、渡り終えたはずがかなり逸れていつのまにか駐車場へ迷い込み、まごまごしていると、若い女性が「どちらへ行きますか?」と声をかけてくださり、まず駐車場から歩道へ連れ出してくださった。
「わたしセブンイレブンで働いていたのでお客さんのこと知っています。」
「ああ、お世話になっています」とわたしは言った。
「おうちはどちらです?」と言って風雨の中を無事送り届けてくださった。

 雨といえばこんなこともあった。
 わたしがひとりで行く郵便局は大きな通りから小道に入ったところにあり、その入り口が小さくて、局に入り辛く、ピタッと一度で見つけられることも失敗することもある。
 ある冷たい雨の降る日は失敗だった。どうしても入り口が見つからない。通る人もいない。入り口は近いはずなので、いっそのこと郵便局へ電話をして、迎えに来ていただこうかとも考えたが、この雨に濡れさせてはいけない。そこで大通りまで戻ってやり直そうとして大通りへ戻り始めた。
 あ、どなたか歩いて来る、「すみません、郵便局へ行きたいので入り口を教えてください」とわたしは言った。
「わたしも郵便局へ行くので一緒に行きましょう」と女性が言うのでほっとした。
 冷たく激しい雨にすっかり冷え込んでしまったが、心は暖かくなり、用事を済ませて、家に帰り急いでお風呂を沸かして身体もゆっくり暖めた。

 そんなことがあったあと、一週間ほどたってからだろうか、郵便局に近づいたとたん
「郵便局にいくのですか?」と聴いてくださった男性がいた。「はい」と言うと「郵便局の前が会社なんです」と言う。
 多分わたしが入り口を苦労して探しているのを何度かお仕事をしながら窓越しに半分あきれ、半分きのどくに、と思いながらも自分のお仕事から離れる訳にはいかなくて、気にしていらしたのだろう。今日はたまたま外にいらしたので声をかけてくださったのだ。わたしにとってはラッキーな日であった。

 これは穏やかな春の日差しいっぱいのときである。さて、この道にかかればおおよそ家まで迷うことは少ない、安全圏にかかって、わたしは日差しの中にたたずんで近くのお宅のお庭で鳴き交わしている鳥たちの囀りに耳を傾けていた。
 そこへ小学生と思える三人が、ひそひそささやきあう声が聞こえてきた。そして思い切ったように、「あのう、どちらへ行きますか?」と声をそろえて言ってくださった。あっ、そうだったのか、彼女たちはどうやってわたしに声をかけたらいいか相談していたのだ。たぶんたたずんでいるわたしの様子からは困り果てているようでもない。でももしかしたら困っているかもしれない。どうしようか、と相談してくれていたのだろう。わたしは当然彼女たちの優しさにうれしくなって、さらににこにこ顔になっていたと思う。
「ああ、ありがとう、この道を真直ぐ行けば、H通りへ出られるでしょう?」
「はい」とかわいく明るいユニゾンが返ってきた。「どうもありがとう、それなら道は分かったので大丈夫です。わたしが立ち止まっていたので心配してくださったのね。ありがとう。わたしね、このお庭でうれしそうに鳥たちが鳴き交わしているのを聴いていたの。もう春いっぱいですねえ」
 彼女たちは一瞬びっくりしたのか黙っていたが、すぐ三人そろって「ああ、はい」と言った。
 「ありがとう、今日は大丈夫、あなたたちに道を確かめさせていただいたから一人で帰れます。ありがとう、さようなら」
 おかしなおばさんだと思ったかもしれないけれど、彼女たちも安心したように「さようなら」と言ってわたしの側を通って行った。

 一人り歩きはたとえ近所でも(いいえ、近所だからこそ)、人様からのご親切を受けることが多い。
 この他にも長い期間の工事現場の安全保安員の方が何度もわたしが通るのを覚えていてくださる。
 あるとき、わたしがその現場にさしかかると、「駅へゆくの?」と聴いてくだささるので、「はい」と言うと、「今ぼく、休み時間になるから駅まで一緒に行こう」と言ってくださった。そして、やはり親しくなった、ご近所の方に「今からデートしてくる」と笑いながら言い、歩き出した。わたしもつられて笑った。

 不思議なことに、わたしは本当にどうにもならないほど道が分からなくなって困り果てたことはない。もっとも夜は極力出かけないようにしている。朝は6時過ぎてからポストへ行くようにしている。この時間になると、ラジオ体操に出ていらっしゃる方が増えるからだ。直接声をかけてくださらなくても、どなたかが見ていてくださる気がして安全に思えるからである。
 それでも二、三度同じ方が一緒に信号を渡り、ポストに投函してから、その信号を戻って、ある一定の安全なところまで来てくださったこともある。

 わたしはこの町の皆様に守られていると思う。アパート全体の防災訓練にも参加させていただいている。それはアパート全体の方にも、消防署の方にも「視覚障害者」だけでなく、いろいろな障害者を知っていただきたいからである。
 役員の方には「まず何方も自分の家族のことに心がまわるのは当然です。でも一通りそれぞれのご家庭がほっとしたときに、〈そういえばあそこに避難に困る人がいた〉と思い出していただけたら、少なくともわたしはそれで幸せです」と避難訓練のときに話せるようになった。

 ありがたいことにわたしは区内の小学校へ、区内の点訳、ガイドヘルパー、手話通訳、車いす移動補助のボランティアの皆様に交じって行かせていただいてきた。
 あの2011年3月11日の東北の大震災の当日午前中に、ある小学校へ伺っていた。
 午後14:46には我が家へ帰っていて、9階で体験していた。正直なところその揺れの中で、「ああ、これが午前中でなくてよかった、学校側はわたしの面倒も見なければならなくて大変だった」とほっとしていた。しかも偶然姉が午後から来ていたのだ。姉と出かけるときは何時も外で待ち合わせているのに、今日は用事があって、我が家へ来ていたのである。その用事も終えてお茶を飲んで出かけようと、わたしは流しもとに立ったところで、茶器も出ていない、熱いお湯も扱っていなかった。
 わたしは片手は柱に捕まり、もう片方は姉に捉まっていたから安心できた。もし一人でいたらどんなに怖かっただろう。
 まず、岡田健嗣さんが「大丈夫ですか」とお電話をくださった。
「偶然姉が来ていました」と言うと、岡田さんは「それはよかった」と言ってくださった。
 そのあと兄弟はじめ何人もの友人知人から安否確認の電話をいただいた。

 大震災当日に行った小学校の担任の先生に用事があって、当日から暫くして小学校に電話をし、用件を済ませてから、自然にあの日の地震についてお話がでた。先生が言った。「子供たちを避難させてみんな無事でした。避難して少しほっとしたとき、木村さんはどうしているだろうと子供たちが言ったんですよ」と教えてくださった。
「え?」、わたしはそう言ったきり、あとはなにも言えず、だんだん涙があふれ出した。
 なんて優しい子供たちだろう。
このような子供たちがいる、この町全体にわたしは守られている喜びを感じている。
                                    2016年1月3日 日曜


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