「うか」104 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 今回も子供のころ読んだ本について書かせていただきたい。
 小学校2・3年のことである。
 同じ寮の、中学のお姉さんSさんが、わたしひとりのためにある本を読んでくれた。点字の本一冊とはいえ、一度に読み切れるものではなく、十ページほどを2・3回読んでくれたが、わたしには暇があっても、Sさんには時間がなく、なかなか物語りを読み進めることができなかった。
 わたしは先を知りたくてうずうずしていた。「また本を読んでください」と言いたくて、Sさんの側へ行って様子を伺い、彼女の時間が開くのをどれほど待ったかしれない。「本を貸してください。一人で読ませてください」とは言い難かった。生意気だと叱られそうで怖かった。
 けれどもある日、とうとう我慢できなくなって、小さい声で、遠慮がちに「Sさんはもうあの本を全部読んだのですか?」と聞いた。すると「多恵子ちゃんに読み始めたときは最後まで読んでいたわ」と言う。わたしは勇気を出して言った。「じゃあ、わたしにあの本を貸してくださる?」「あの本おもしろい?一人で読んでみる?貸してあげるわよ」と驚くほど簡単に言ってくれた。ああ、もっともっと早く頼めばよかった。でも叱られなくてよかったとほっとした。
 それからこの本を抱きしめて、学院内に散在している、いくつものあづまや、生徒が使えるところ、そして一人で占領できるところを、その時、その時で選んで、この本に浸りきる日々が続いた。
 まだ点字をすらすら読める能力もなく、たどたどしいながら、教科書とはまるで違ったわくわく感で読み始めた。最初の部分はすでに読んでもらっていたので、かなり意味も分かった。が、本当に一人で初めて点字に指をたどらせて読むところからは、新たな緊張が始まった。

 ドイツの、ある地方に住む少女マリーの物語りである。
 母はマリーがまだ小さいときに亡くなっており、庭師の父ジャックと二人暮らしをしている。
 柔和で気立てもよく、働き者のマリーは、早くから掃除も台所仕事も丁寧にしていた。鍋やヤカンは今、職人の手から届いたばかりのようにピカピカに磨かれていた。
 父のジャックは、二人が暮らしている村の城主である伯爵家に仕える庭師であるが、彼はトネリコやヤナギの枝を使って、見事な籠を作ってもいた。ジャックは籠を編みながら、伯爵のお供で旅行したときのおもしろい話や、植物の育て方などいろいろな話を娘に聞かせた。春先の草木や木々の勢いのよい芽吹きは、若者の、希望に満ちた、何事も順調に伸びゆくときと似ているが、思いがけない天候の乱れや、突然の不幸に見舞われたとき、たちまちしおれてしまう心配もある。
 夏のバラの咲きそろう見事さを愛でながら、花の衰えの早さについて語り、秋のリンゴの実りは、人を喜ばせるが、たちまち霜に覆われてしまうことなど、人の一生と比べながら話した。

 ある日マリーは、父のために、籠を編む材料を探しに森へ行った。そのとき、初咲きのスズランを見つけて父と自分のために二つの花束を作って、家へ帰ろうとした。そのとき、毎年春になると、都会からこの村へ来る、伯爵夫人と、令嬢アメリーが散歩をしているところに出会った。マリーはこの二つの花束を夫人とアメリーに差し上げた。「アメリーはとくにスズランが好きなので、これからもお城へ持ってきてください」と夫人に頼まれた。マリーは毎朝スズランをお城へ届け、この花が終わると、いろいろな花を摘んでは届けた。そしてアメリーはマリーと親しくなり、マリーを妹のようにかわいがるようになった。ところが、アメリーの侍女アンリエットはマリーを妬んだ。
 アメリー嬢の誕生日が近づいた。マリーはいつもの花束だけでなく、なにか工夫をこらしたいと考えた。ちょうどこの冬の間に父が沢山作った籠の中から一番見事な細工の籠をひとつ、マリーにくれていたので、これを使って花籠を作ることにした。
 誕生日の朝、咲き初めの花々を摘み、緑の葉も添え、彩りも見事な花籠にしたててお城へお祝いに行った。
 アメリー親子はその美しさに感歎して、今日の晩餐会の中心に飾りましょうと言った。二人はそのお礼になにかマリーにあげようと相談するために、マリー一人を伯爵夫人の部屋に残して他の部屋に行き、アメリーの新しい服を与えることにした。マリーは辞退したが、二人がしきりに勧めるので、いただいて帰った。
 父はこれを見て心配顔になった。マリーには高価すぎるからである。マリーはその服を一度着てみてから直ぐしまった。
 まもなく、真っ青な顔をしたアメリーが一人で駆けつけて来て言った。「あなたはどうかしたのではありませんか?母のダイヤ入りの指輪を直ぐに返してください。誰にも知られないうちにと、一人で来ました。母の部屋に置いてあった指輪です。」と言った。
 この指輪は高価で、しかもアメリーが生まれたとき、伯爵が夫人に贈った特別な記念の品物で、アメリーの誕生祝いの晩餐会のときだけにはめる習慣になっているので、他のものと変えることもできないし、もう時間も迫っている、といった。
 マリーは死人のように青ざめて、「わたしは少しも指輪を見ておりません、人様のものに指一本触れたこともありません」と静かではあるがきっぱりと言った。
 こうして厳しい裁判が始まった。この指輪の値段の5分の1程度の品物やお金を盗んでも、死刑にされる時代であった。マリーは無実を涙ながらに訴えた。裁判官の合図でアンリエットが入ってきて言った。「あなたがあの指輪を持っているのをわたしは見ました」と言った。これを聞いてマリーは非常に愕き涙に濡れながら、「それは嘘です。どうしてあなたはそんな嘘をいうのですか?わたしはあなたになにか悪いことをしましたか?」と言い、無実であることを述べた。
 しかし夫人の部屋にマリーが一人だけで居たことなど、マリーの無実を証明することはできず、本来は死罪に相当するが、日頃のこの親子の正直な生き方と気高さと、いつも人に優しくしてきたことから、二人の財産没収と、親子一緒に、村からの追放の命令が下った。
 こうして親子のあてどない旅がはじまり、父の死とそれに続くマリーの艱難が重なる。悲しみの避けどころととして、父の墓前にぬかづいているところへ、突然アメリーが、親子を迎えに来る。マリーの潔白が証明されたからである。
 この春、嵐が起きて、すでに古木になっていた城内の中心にあるリンゴの木が倒れかけた。ほおっておいて、この木が倒れては危険なので、みんなのいる前で切り倒すことにした。木が横倒しになると、そのてっぺんにカササギの巣があった。伯爵の二人の息子がカササギの巣を取ろうとすると、その小枝の中に光るものがあるのを見つけた。それはあの指輪であった。
 カササギの習性は、光るものを集めて自分の巣に蓄えておくことだと、年老いた猟師からの説明で皆は理解した。伯爵夫人が言った。「そういえば、この鳥はよくわたしの部屋に来ました。確かにあの日、わたしの部屋の窓は開いていました。」と。……
(クリストフ・フォン・シュミット作『涙の花かご』 訳者は覚えていないが、著者は1768〜1854年、ドイツ生まれだと最近知った。)

 わたしはこの本を一人で読んだ気になっていたが、間違いなくわたしに教えてくれたのはSさんである。
 なぜって、自分は読み終えているのに、わたしに読み聞かせようとしてくれたのだ。
 わたしが、読み終えた、と彼女に言ったとき、「どうだった?」と聞いた。
 今読み直したら細部に覚え違いはあるかもしれないが、この本の中でわたしは三つのことが忘れられない。
 ひとつは単純なことであるが、整理整頓、そして身の回りのものをきれいにしておくことである。現実には人様が見たら疑わしいと思うかもしれないが、わたし自身は気にしている。部屋の中や台所道具もわたしなりに気を配っている。
 もう一つは、父親が娘に語り聞かせた様々な教えである。思い出して不思議なのは、秋と人の老いとを重ねて語る父の言葉は、上手に書き表せないけれど、切ない雰囲気は妙にわたしの心に残っている。わたしは十一歳になったばかりの春に、突然父を亡くしている。この本を読んだ後のことであるから、あの漠とした不安は先触れだったのだろうか。人の世のはかなさを無意識に感じ取ったのだろうか?
 秋の寂しさについては、言葉というより、その凛とした引きしまった空気が心に染みこんできたのである。いわゆる虫の知らせのような寂しさを先取りしていたのだろうか。
 残る一つは、マリーが濡れ衣を着せられたこと、たった一人の証言によって人生の不幸を負わなければならなかったことが、思いがけない形で解決したこと。これは一つの見方だけでものごとを決めてはいけないということである。角度を変えてあらゆる方向から、ものごとを判断しなければならないということである。
 以後、「冤罪事件」がニュースになると、胸がきゅうんとなる。でもわたしは現実に冤罪事件に身を投じて関わったことはないので、「人ごと」でいるのは事実である。
                                 2015年10月1日 木曜

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