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               編集後記
                                   
木下 和久

「うか」100号(2014年10月)
 とうとう「うか」が100号を迎えました。創刊号が1997年4月の発行ですから、丸17年を超えています。結果的に私の編集担当期間は半分を超えてしまいましたが、この機関誌の体様を決めて継続的な発行形態を作ってくれたのは、初代編集担当の宗助さんです。
 編集者にとって最も重要なものは執筆者の確保です。最初の頃は、一般会員も一生懸命原稿を書くことを心がけて頑張ってくれましたが、一通り活動内容や感想などを文章にして、それが終わるとほとんど書きたいような内容がなくなってしまいます。
 岡田さんが内に秘めた漢点字に対する執念というものは大変なもので、そのエネルギーが本誌の継続的な発行を可能にしています。しかし、彼1人では誌面全体を埋めることはできず、それを継続的に支えてくれたのが現在はひきふね図書館におられる山内馨さんと、ご自身視覚障害者である木村多恵子さんです。木村さんは熱心な漢点字愛好者で、毎号本誌に現れる非常に文学的な繊細な文章に心を洗われる思いがするものです。
 更に、今回原稿をいただいて初めて知ったことですが、田中秀臣さんの文字に対する思いが、岡田さんの思いと完全に一致していることに驚くと共に、こういう方がおられるということをとても心強く思います。
 これからも本紙が末永く発行され続けることを心から願っています。

「うか」101号(2015年1月)
 当会が発足して来年で満20年、その間に世の中のIT環境が、すっかり様変わりしてしまいました。パソコン本体の発展は目を見張るもので、この20年足らずの間にとんでもない能力を備えるまでに進化してしまいました。初めて40メガバイトのハードディスクを手にしたとき、フロッピーディスクに比べて何と速く確実に動いてくれるのかと感心したものですが、今や32ギガバイトのマイクロSDカードは、小指の爪ほどの大きさしかありません。
 こんな最先端の技術を一杯に詰め込んだのが、スマホと呼ばれる手のひらサイズのコンピューターでしょう。最近私は通信会社から熱心に勧められて、アイフォン6という最新型のスマホを手にしました。
 いくらパソコンに慣れているといっても、スマホの使い勝手は全く別のものです。ほとんどすべての操作が、画面に現れる画像相手のタッチ操作で、とにかく操作してみて反応を確かめ、何度かやっているうちにだんだん思うような目的が達せられるというもののようです。こういう具合では、視覚障害の方にとっては、どうにも利用のできない代物でしょう。ますます便利になって行く世の中が、一部の人にとっては非常に不自由なものになるという事実は、困ったものだといわざるを得ません。

「うか」102号(2015年4月)
 「日本語は漢字とかながあってこそ成り立っている」というのが現在の日本語の状態です。漢字が伝来する以前の日本語は、当然のこととして話し言葉だけだったわけで、それをそのままひらがなで表しても十分に通じるものだったと考えられます。しかし、漢字が伝来して、漢字かな交じりで日本語が表示されるようになると、その形がどんどん進化して、今度は漢字なしでは思うことが表せないという、日本語独特の文化ができあがってしまいました。
 最近はその上に外来語が氾濫し、いつの間にか日本独特のカタカナ語の世界が築かれつつあります。岡田さんがいっておられるように、漢字を知らない人は非識字の状態にあるというのは正しいことと思われます。彼等を「識字」の状態に置くためには、漢点字を習得していただかなければなりません。その漢点字の習得を目指そうとする人があまり多くないというのが、われわれこの活動に協力している者たちの残念に思うところです。

「うか」103号(2015年7月)
 今号は、ちょっと原稿の総量が少なかったので、文字をやや大きめにして、行間隔も広めにしました。かえってこのほうが読みやすいのではなかろうかと思います。
 定例会の席上で、ウィンドウズ10のことが話題になりました。マイクロソフトがより便利になると、「10」を宣伝していて、間もなく売り出されるようです。しかし、われわれのように、特殊な分野でパソコンを利用している者たちにとっては、そういう一般的な便利さというものは全く関係なく、今まで使えていたソフトが使えなくなるようなことがあると、大変なことになり、極端な場合には全く活動が出来なくなってしまう恐れさえあります。マイクロソフトのシステム開発の方針が、われわれにとって悪い方向に進まないよう、ただ祈るのみです。
 ウィンドウズはファイル名の大文字と小文字を区別していない、これはMS−DOS時代の名残だということを最近知りました。これは便利なことかも知れませんが、かえって不便だということもあります。困ったことですね。

「うか」104号(2015年10月)
 先日、岡田さんが主宰する有限会社「横浜トランスファ福祉サービス」創立10周年の祝賀会にお招きを受け、羽化の会の他の2人と共に出席させて頂きました。この会社は視覚障害者の外出を支援するガイドヘルパーを派遣することを主な目的として発足したものですが、それだけでなく、各種の障害者の外出を支援しています。私はその発足当初から営業支援のためのコンピューターシステム開発でお手伝いをしてきました。このような会社が10年も存続するのは並外れた努力や苦労が必要で、ここまでこの事業を発展させてこられた岡田さんの実力と精神力の強さに敬服せざるを得ません。
 この「うか」も、これで104号を数えます。その間一貫して漢点字の普及に心を砕き、それを文章で表現してこられた岡田さんには、ただただ賞賛の言葉を贈ることしか思いつきません。来年は「横浜漢点字羽化の会」発足20周年を迎えることになります。当初からこの会の活動に関わってきたわれわれは、それだけの年をとったわけで、心身の衰えを感じることもしばしばです。

「うか」105号(2016年1月)
 羽化の会発足当時からずっと在籍している数少ない会員の1人となってしまいました。過ぎ去ってしまえば、この20年はあっという間のような気がしますが、確実にそれだけ年をとっています。
 漢点字変換ソフト、「EIBRKW(エイブルケイダブリュ)」の開発について書き出したら止めどなく文章がわき出てきそうです。幸いなことに、そのコンピューターソフトは、今でも支障なく活躍して、点字プリンターを動かしてくれています。そして、点字プリンターで打ち出した点字用紙を分厚く製本して、90巻もの製品を1年間で完成させて、中央図書館に収めたことは、思い出しても信じられないような成果でした。それ以後毎年、何冊かの製品を図書館に納入していますが、出来栄えがちっとも進歩していないのが不思議です。
 岡田さんの遠大な計画には終わりがありませんが、世の中の変化は著しく、点字印刷に関するハードウェア環境が非常に厳しいものになっています。われわれの活動が今のままで続けられるかどうかについて、一抹の不安をぬぐうことが出来ません。

「うか」106号(2016年4月)
 今やパソコンはすっかり生活の一部として取り込まれ、ものを書くのもパソコンのキーボードでということが一般的になっています。そうなると、漢字を手で書くという行為はほとんどなくなって、目の前に現れた単語のリストから適切なものを選ぶという行為に置き換えられてしまいました。
 われわれのように、小さいときから漢字書き取りを一生懸命やってきて、正確に漢字の書き方を覚え、沢山の漢字を間違いなく書くことが出来た者でさえ、漢字を手で書く機会が減ってくると、いざ書こうとしたときにどうしても正確な漢字を書くことが出来ず、パソコンで文字を表示して、それを見ながら書き写すという情けない状態になってしまいました。
 更に進んで、漢字を手で書くことはよほど特殊の場合のみだという世の中になった場合、日本語の中の漢字の役割はどうなっているのだろうと考えてしまいますが、日本語を表示するのに漢字が欠かせないものであるという事実は一向に変わらないので、書くということを機械にまかせても、何ら問題があるわけではない、ということなのかもしれません。

「うか」107号(2016年7月)
 本号はちょっと原稿の量が少なかったので、本文のフォントサイズを大きくして(従来の10ポイントを11ポイントに)、1ページ文字数を減らしました。このほうが読みやすいものと思われます。しかし、原稿量が多いときはページ数をあまり増やしたくないということから、フォントサイズは小さめで、行間隔もだいぶ詰め込むことになります。用紙を何枚仕立てとするか、フォントサイズをどうするかなどを決めるのは編集技術のうちですが、最近のワープロソフトの進歩で、昔に比べたら非常に便利になっていることは、編集者にとって嬉しいことです。
 ワープロソフトといえば、以前は「一太郎」と「マイクロソフト・ワード」がそれぞれに大きな勢力を保って、ほぼ互角に戦ってきたもののように思いますが、最近では「一太郎」をプレ・インストールしたパソコンが見かけられなくなってしまいました。「ワード」はそもそも英語圏で開発されたもので、設計の思想が英語的になっています。根本的な相違は、英語が単語単位で文章を組み立てているのに対して、日本語は文字単位だということです。ワープロソフトの開発に際して根本的な設計思想が異なるので、どうしても日本語入力用に改造した「ワード」は、日本人には使いにくいということです。
 当然ながら、私はこの「一太郎」を使って当誌を編集していますし、これからもずっと「一太郎」を愛用していきたいと思っています。「一太郎」が消えてなくならないように、その利用者が少しでも増えていくよう、祈るのみです。

「うか」108号(2016年10月)
 本会が活動を開始してから満20年たち、『萬葉集釋注』の製作を始めてからも4年が過ぎて、5年目に入っています。これは10年計画ですが、既にその半ばに達したことになります。横浜市中央図書館にはこうして納入された漢点字図書が大きな書棚にぎっしりと並べられています。
 通常ではなかなかじっくり読む機会のない万葉集を、漢点字変換用に編集し、点字用紙に打ち出して製本するとなると、大変な作業ではありますが、それなりに意義のある仕事をしているという実感がわきます。その内容については岡田さんが詳しく書いておられますが、日本語を何とかして外来文字である漢字を使って書き表そうとする努力の集大成が万葉集なのだと考えると、われわれの仕事に大きな意味づけがなされたような気がします。

「うか」109号(2017年1月)
 先日、毎日新聞の記者の方から質問を受けました。以前漢点字のことを取り上げてコラムに紹介してくれた方です。ボランティアの皆さんの活動を支えてくれる動機は何でしょうかと。あらためてその動機について考えてみると、ただただ岡田さんの漢点字に対する熱意に押されて、ということではないかと思います。
 その目に見える大きな成果として、横浜市中央図書館に納められた本格製本の漢点字書は、1997年度の漢字源90冊に始まって、毎年10冊前後を納入して、昨年度までに総計220冊になりました(その書棚の漢点字書の写真を前号に紹介)。これらの漢点字書は、希望される方には日本全国どこの図書館からも自由に閲覧して頂くことが出来ます。
 現在取り組んでいる万葉集釋注は、今年度の製作が完了すると、始めてから5年になります。これは10年計画という、最初に考えた膨大な計画のちょうど半分に達することになります。しかし、これを完成させるまでにまだこの先5年もかかると考えると、前途多難と思わざるを得ません。
 更に、こうして作られた貴重な漢点字資料を、少しでも多くの方に利用して頂きたいのに、漢点字書を読むことが出来る方の数が一向に伸びて行かないのが現状です。読者を1人でも多く増やそうと、数年前から視覚障害者を対象にした漢点字講習会を開いていますが、その受講生は未だに10人を超えない範囲にとどまっています。

「うか」110号(2017年4月)
 立て続けにわれわれの身近な存在であるお二方の訃報が届きました。
 漢点字の創始者で日本漢点字協会の会長であった川上泰一さんが亡くなった後、その会長職を引き継がれた奥様の川上リツエさんが、お亡くなりになりました。リツエさんとお目にかかったのはかれこれ13年前のことになります。あの頃既にかなりお年を召したようにお見受けしたものですが、何とも貴重な人材を失ったという喪失感は免れません。
 東京羽化の会の会長として活躍されていた菅野良之さんの訃報は、本当に寝耳に水といった響きがありました。菅野さんとは、羽化の会の新年会で何度かお目にかかったものです。かなり長い間学習会などの報告を執筆されていたので、間接的にお付き合いがあった感じがします。
 突然の現世との別れは、周りの人々を悲しませますが、周りに迷惑をかけて長患いするよりはずっといいことのように思われます。それなりの年齢に達した私としては、リツエさんのように人生を終えることが出来たら、本当に理想的だと思えます。

「うか」111号(2017年7月)
 私事になりますが、昨年11月にマンションに引っ越して、新しい書斎の中も落ち着きました。パソコン・プリンターなどかさばる機器を収納するので、それほど広くない書斎の中はだいぶ窮屈なものになっていますので、不要物の整理が大きな課題となります。
 まず整理の対象となるのが、創刊号以来大量に保存されてきた「うか」の冊子です。そこで、web担当の岸田さんと相談した結果、創刊以来の「うか」すべてをpdfにして、ホームページに公開することにしました。
 最近の印刷原稿は、そのままプリントアウトすることが出来るようになっているので、簡単にpdfファイルを作ることができますが、以前のものは紙の原稿しか残っていません。それらの原稿は、スキャン画像をpdfにすることが出来ます。そうすれば誰でも好きな号のすべての内容を目にすることが出来るわけで、更に大きく考えれば、世界中の人の目に「うか」を公開することになり、桁違いの情報発信力となることが期待されます。

「うか」112号(2017年10月)
 10月15日は当会の定例会でした。岡田さんがFM戸塚の番組に出演されることになり、その収録が行われたということで、ひとしきり話に花が咲きました。
 ごく狭い範囲の地域にラジオ電波を届けるこの種のコミュニティ放送局は今あちこちにありますが、この放送を直接ラジオで受信できるのはほんの限られた地域です。今ではこういう各地域のコミュニティ放送が、インターネットにのせられて、世界中に発信されているのです。
 パソコンでFM戸塚のホームページにアクセスして「パソコンでラジオを聴く」というボタンを押せば、必要なアプリがダウンロードされて、パソコンで、放送中の音声を直接聴くことができますし、スマホやタブレット端末用にはそれぞれのアプリが用意されています。
 何と便利な世の中になったものかと、感無量のところですが、ちょっとうっかりしているとその便利さの存在にすら気がつかないで、世の中の流れに取り残されてしまうのではないかという一抹の不安を覚えてしまいます。

「うか」113号(2018年1月)
 「報告・案内」欄に岡田さんがお書きになったように、本機関誌「うか」の創刊号以来の全バックナンバーを当会のホームページに掲載することが出来ました。具体的には機関誌「うか」の該当する号の「PDF」ボタンをクリックすれば、その内容が紙面に印刷されたままの状態で表示されます。
 最近のwebブラウザーは、パソコン自体の進化と共に高性能となっており、PDFファイルを閲覧するのも非常にスムーズに動作し、表示画面の拡大・縮小も自由に出来るので、紙の冊子を読むよりもかえって読みやすいという利点があります。また、ブラウザーで直接内容を表示する以外に、ご自分のパソコンにダウンロードしてパソコンの中に『うか』文庫を作って、便利に利用することも出来るわけです。
 ただ、20号以前の古いものは紙の原稿をスキャンして、PDFとしていますので、それより新しいものと比べると若干画質が落ちますが、ご了承いただきたいと思います。

「うか」114号(2018年4月)
 私事になりますが、先日、みなとみらいの大ホールでコーラスの発表をする機会を得ました。国際シニア合唱祭「ゴールデンウェーブ in 横浜」と銘打った高齢者のコーラスグループの発表会で、毎年開催されて今年は10回目となります。コンテストではありませんが、専門家の先生たち数人がそれぞれちゃんとした講評を書いてくれるので、大いに励みになります。何回か連続して出場すると、表彰状が頂け、われわれのグループは5回連続の出場ということで、立派な表彰状をいただきました。
 出場したグループの中で目についたのが、視覚障害者を示す白杖をついて、壇上に上る男性でした。眼鏡をかけておらず、遠目に見たところでは目が不自由だということを感じさせませんが、大きな口をあけて堂々と歌っている様子が印象的でした。
 その人が漢点字をご存じかどうか、知るよしもありませんが、歌の歌詞を漢点字で読めるようになったら、すばらしい世界が開けてくるのではないかと、つい考えを飛躍させてしまいます。

「うか」115号(2018年7月)
 岡田さんの文章を読むと、日本語そのものが、漢字とカナで成り立っているという事実がひしひしと心に刻まれてきます。もし、日本語が音標文字で表現されるものだったら、日本語は今とは全く違う言語になっていたはずということがよく理解できます。遙か昔、この国に文字が大陸から伝えられて以来、日本語は漢字とカナで表現される言語として発達してきたのです。今更カナ文字やローマ字という音標文字で日本語を表現することはできないものになってしまいました。
 私の父は若い時、ローマ字運動に興味を持っていたようで、家の本棚にローマ字で書かれた「力学」の教科書がありました。残念なことに現物は既になくなってしまいましたが、相当厚い、立派な書籍でした。そのローマ字で書かれた内容が、本当にちゃんと理解できるものかどうか、確かめてみたい気がします。
 日本語をカナ文字やローマ字で表現することがいかに困難なことであるかが理解されて、結局これらの運動が消えてしまった原因が、容易に理解できるのです。

「うか」116号(2019年4月)
 この3月に『萬葉集釋注』第七巻(全9分冊)の点字印刷・製本を完了し、横浜市中央図書館に無事納入することが出来ました。
 振り返ってみると、初めて漢点字書籍(漢点字版「漢字源」)を中央図書館に納めたのは20年あまり前のことになります。そのころ製作した点字本が1冊、私の手元にあります。これは製作過程で大きなミスをして、作り直しをして納品した残りの品物だったのです。これは貴重な記念品ですが、その出来映えがとてもいい感じなのです。
 それから毎年10冊前後の点字本を製作していますが、出来上がりを見ると、それ以上にいいものがどうしても出来ないのです。こういう作業は、経験を重ねる毎にだんだん慣れて上達するはずですが、結果としてそうならないのはどういうことだろうかと、不思議でなりません。どうも、年齢を重ねて能力が衰えて来たとしか考えられません。そのためにはよい後継者を育成していく必要をつくづく感じますが、残念ながら適任者を見つけられないままでいるというのが現状です。

「うか」117号(2019年7月)
 考えてみれば、まだ文字のなかった頃の日本語は、すべて話し言葉で伝えられて、漢字のような概念はなかったわけです。しかし、文字としての漢字が中国からもたらされて、日本語そのものが大きく変化しました。
 同音異義語を巧みに使い分けて、微妙な感情表現をするということが可能となり、漢字なしには成り立たない日本語の世界が出来てしまったのです。
 最近は諸技術の発達により、音訳が広く普及してきましたが、これは完全な日本語表現の方法とはなり得ません。少なくとも微妙な漢字の文字遣いを駆使して表現された文学作品などを、忠実に音訳しようとすれば、やたら冗長な文章になり、本来の表現者の意図が素直に表現されなくなってしまいます。
 ただ、現実を考えると数千個の漢点字を記憶するという漢点字学習の困難さがその普及を阻害するので、いつまでたっても広く普及して行かないというのが現実のことでしょう。何とも歯がゆいことです。

「うか」118号(2019年10月)
 高専生が文字・点字の相互翻訳システムを開発したというニュースが朝日新聞に載っていました。「てんどっく」というこのシステムは、八王子にある東京工業高等専門学校の学生たちがコンピューターのプログラミングを競うコンテストに向けて、視覚障害者が直面する情報の壁を取り払うシステムを開発したものだそうです。
 このシステムは@書類をスキャナーで文字を読み取って、専用の用紙に点字で出力する。A点字でつづった文書を文字に変換する。B視覚障害者同士で点字の文書をやりとりする(点字ファックス)というものです。
 ここでの点字の出力に漢字についての説明はありませんが、漢点字が使われているわけではないでしょう。スキャナーで文字を読み取るにはOCRの技術が欠かせませんが、正確に文字を読み取ってくれるOCRには未だかつてお目にかかったことがありません。本当に実用的なこういうシステムが開発されることは願ってもないことですが、それは遠い夢のようなことだと思われて仕方がありません。

「うか」119号(2020年1月)
 本誌第119号が完成しました。しかし、レギュラーライターの他には原稿がなくて、ちょっと薄目の冊子となってしまいました。でも、岡田さんの毎回紙面からほとばしり出るような力のこもった文章にはいつもながら敬服させられます。今回も、最初いただいた原稿量ではどうしても1ページ分の空白が出来てしまうので、ぎりぎりの時点で更にもう1ページ分の書き増しをしてもらえないかとお願いして、快く引き受けていただいたものです。
 今年の羽化の会の新年会は、1月19(日)です。ここのところ10年あまり、一時期ちょっと別の場所を利用しましたが、その他はずっと桜木町ワシントンホテル5階のレストラン・ベイサイドを利用しています。東京・横浜両羽化の会会員の他に関係のある方にお集まりいただき、毎回ほぼ25名前後の参加をいただいていましたが、今年はご都合の悪い方が多く、20名の予定となっています。楽しい会になりますように。

「うか」120号(2020年10月)
 冒頭で岡田さんが書かれているように、今回の新型コロナウィルスにより、本誌も2回の休刊を余儀なくされ、やっと、各種の活動制限の中で本誌を発行する機会を得ました。その活動は、神奈川県民サポートセンターで行っていますが、しばらくの休館の後に利用が再開されたとはいえ、1グループが利用できるスペースは、1日2時間まで、人数は4人までという非常に厳しい条件が課せられています。
 新型コロナウィルスの感染拡大は、いつになったら収束するのか全然予測はつきませんが、これを契機に世の中はテレワークの拡大など大きな変化のまっただ中にいるわけです。
 われわれの活動は、当初からパソコンを主要な道具として、パソコン通信を利用したり、いわばIT技術を駆使した活動をしていたものです。しかし、今やインターネットを中心としたIT革命の進行は、想像を絶するものです。
 超高性能になったスマホを手に、ちょっと便利な使い方を覚えて、こんなことも出来るのだと、感心している今日この頃です。
                       木下 和久
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