「うか」069  トップページへ
訳書紹介
           常用字解の編集について(1)
 以下は、『常用字解』(白川静編、平凡社、2004年)の冒頭に置かれた、故・白川静先生の筆になる、同書の編集方針が述べられたものです。この秋に前半が、来年には後半の漢点字訳が完成する予定です。

    常用字解の編集について

  1  常用漢字表
 戦後のわが国の国語政策は、漢字の字数とその音訓の用法を制限するという、誤った方向をもって出発した。わずかに1850字の漢字と、その限られた音訓とによって、国民のことばの生活をすべて規制しかねないものであり、それが直ちに伝統的な文化との断絶に連なるものであることは、容易に予想することができたはずである。政府の「当用漢字表」の告示から50余年を経た今では、その結果はまことに明らかである。古典は軽視され、文化の伝統の上にも大きな障害があらわれてきている。古典語で詠(よ)まれる短歌が、おおむね現代仮名遣いで表記されるというような事態が日常化しているのである。殊にわが国のように、歴史も古く、多くのすぐれた古典を持つ民族にとって、その理解が失われ、受容の機会が狭められているということは、わが国の文化の継承の上からも、容易ならぬ事態というべきであろう。
 このような漢字の使用制限の方向は、漢字が文字としてその機能に限界があり、またその文献が今日の世の中では役立つものではないという、誤った考え方の上になされたものであった。最初の文字制限が、「当用漢字表」の内閣告示という形式で発表されたのは、1946(昭和21)年11月のことであった。敗戦後間もないころ、わが国を占領した連合軍が、その統治上の便宜ということもあって、漢字の制限・廃止を日本政府に求めてきたのに端を発するものであった。いわば占領政策上の便宜からの要求であり、そこには何らの文化的考慮をも含むものではなかった。「当用漢字表」の告示は、当時の日本政府がその要求に応じたもので、それ以外に何の理由もあるものではない。そもそもこのような政策は、歴史上にかつてその例をみないものである。ベトナムがフランス領であった19世紀に、漢字を廃止した例があるが、それはベトナムが植民地として、フランスに支配されていた時代のことである。わが国は戦後50余年、すでに半世紀以上を経過して、今の成人社会も、多くは戦後の教育を受けた人たちである。1981(昭和56)年、「当用漢字表」に代わって「常用漢字表」が内閣告示として発表され、字数は100字近く増えて1945字になったが、漢字の知識は、一般的にはこの常用漢字の範囲を出ることがないと思われる。

  2  新しい文字学について
 しかしこの50余年の間に、漢字の歴史、文字学についての知見は、飛躍的な展開を遂げた。それは1899年に漢字成立期の資料である甲骨文字が発見され、また続いて殷(いん)・周時代の青銅器の銘文、いわゆる金文(きんぶん)の出土も数千点を数え、漢字の成立の過程をも含めて、字様の成立・変化の状態が知られ、漢字に対する知識が一変したからである。後漢時代の紀元100年、許慎(きょしん)が著した[説文解字(せつもんかいじ)](省略して[説文(せつもん)]という)は、長い間文字学の聖典として、字形学の基礎とされてきたものであるが、その資料とするところは主として篆文(てんぶん)(秦(しん)代の通用の字形で、小篆ともいう)であった。篆文にはすでに文字の原形を失い、甲骨文字・金文の字形とは異なるものが多いのである。たとえば彝(い)の字について[説文]13上は、米と糸とを廾(きょう)(両手)で供える形であるとしているが、甲骨文字(図右)、金文(図中)の字形は、鶏を両手で羽交(はが)いじめにする形であり、羽交いじめにして血をとり、その血を器に塗って祓(はら)い清めて、祭器とすることを示す字である。篆文の字形(図左)は、中央部分が米と糸の形となっており、[説文]はこの篆文の形によって解説を試みている。このように[説文]の字形解釈には誤りがはなはだ多く、ほとんど謎解(なぞと)きに近いものもある。しかしこれは、彝の字の説解にみられるように、許慎は古い字形の甲骨文字や金文を見ることができず、その資料とする字形が、最初の形を失っているものが多いことも、その理由の1つである。しかし基本的には、字の初形が確かでなく、またなによりも漢字が成立した時代についての、古代学的知識の欠如が、字形の解釈を誤った最も大きな理由である。
 たとえば、矢は矢(ちか)うとよむ字である。[説文]5下は矢を象形とするが、なぜ矢(ちか)うであり、知・智がなぜ矢を字の要素とするかについては、何の説明もない。また矢の到達する地点を示すものは至であるが、屋・室・臺(台)がなぜ至を字の要素としているかについて、3字が同じ系列の字であることを認めながらも、単に至るの意味と解しているのみである。矢は誓約のときにそのしるしとして用いる聖器であり、知・智は神に祈り、神に誓うことをいい、族は氏族旗のもとで誓約する儀礼を示すこと、至が屋・室・臺に通じて用いられているのは、重要な建物を建てるとき、神聖な矢を放って占い、矢の到達した地点を聖地として、そこに建物を建てたということで、これらの字は古俗の知識に基づいて理解すべきものである。また同一の要素・字形は、同一の意味をもつものとして解釈すべきである。このようにして[説文解字]に代わる新しい文字学の体系を作り出すことは、甲骨文字・金文という新しい資料の出現によって可能となった。
 文字の訓詁(くんこ)(字の意味の解釈)は歴史的なものであり、[説文]をはじめ、漢代に成立した[爾雅(じが)][釈名(しゃくみょう)]、少しおくれて成立した[広雅][玉篇(ぎょくへん)]などの諸書に記録されている。それでこの書では、それらの訓詁を紹介し、字形学的にその訓詁を説明しうるかどうかという解説の方法をとった。解説の内容は[字統][字通]と異なるところはないが、なるべく中・高校生を含む多くの人を対象に、理解しやすく平易に解説することにつとめた。その解説を証明するのに必要な範囲において古典の引用を試み、古典の使用例との関係を明らかにした。ただ語彙(ごい)・用例は多くを列挙することを避けて、その訓義・用法を説明し、理解するに足る必要な程度のものをあげて、解説を補充する方法をとった。

  3  解説の方法

 「常用漢字表」の前文によると、

常用漢字表は、現代の一般の社会生活で用いるものであって、科学・技術・芸術等の各種専門分野や個々人の漢字使用にまで立ち入ろうとするものではなく、従来の文献などに用いられている漢字を否定しようとするものでもない。

としているが、実際にはその規制を受けることが多い。またなんらの理由もなく、字形を変更していることがある。たとえば犬を字の要素とするものについて
 器(器※) 臭(臭※) 類(類※) 戻(戻※)
(※現在のコンピューターでは表示できないが、「大」の部分は右上に点が一つついて「犬」である)
のように犬を大(手足を広げて立つ人を正面から見た形)に改めたものがあり、そのためこれらの字はみな字の構成的な意味が失われるものとなった。また
 害(害※) 告(告※) 舎(舍)
(※「害」の横線3本のうち、一番上は片仮名のノである。「告」の縦線は下に突き抜けて「牛」となっている)
など、まったく理由のない変改によって、字形本来の意味を表現できなくなっている。しかもたとえば、犬を字の要素として含む字においては、就(尤(ゆう)は殪(たお)れている犬の形)や伏はそのままである。改定者はこのような誤った変改について、今に至るまでなんらの処置をとることもない。3000年余りの歴史を持ち、天下公行の字を、このように何の正当な理由もなくみだりに歪(ゆが)めてよいものであろうか。
 右の「常用漢字表」の前文で、古典や専門分野にはこの改定は及ばないとしているが、実態は新聞などもおおむね「常用漢字表」を原則とし、自由な漢字使用ができない現状にある。それで拉致(らち)事件が問題となっても、「ら致」という不思議な表記が当初の一時期新聞で使用されていた。また「常用漢字表」発表以前の文章も、引用のときにはおおむね「常用漢字表」の制約を受ける。規制は過去の文献にも及んでいるのである。古典にみだりに変改を加えることは、文化的遺産に対する重大な冒涜(ぼうとく)であるというべきであろう。古典の表記をもこのように一様化することが、国語の進歩であると考えるのは、大きな誤りである。この問題について、より多くの人々が関心を持たれるようになることも、この書における私の一つの希望事である。
 私はそのような願いをもって、すでに[字統][字通]を書いたが、実はそのことは漢字を学習する段階において、すでに用意しておくべきことであった。漢字を学習するときに、その成り立ちについての正確な理解があるならば、文字学的な基礎も用意され、学習はいっそう効果的となるであろう。できるならば、小学校における学習時にそのことがなされることが望ましい。しかし漢字の成り立ちを理解するには、古代社会的な理解を必要とするところがあって、小学校段階の漢字学習にはまた別途の用意が必要である。それで小学校段階における学習の方法については、別にそれにふさわしい方法を考えることにし、本書では主として中・高校生を対象として解説することを試みた。
(以下は、次号に掲載します。)
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