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訳書紹介
          常用字解の編集について(2)
 漢点字訳『常用字解』の完成を前に、同書のご紹介の意味で、前号・本号と、白川静先生の筆になる「常用字解の編集について」と「凡例」を掲載させていただきます。

   4  常用漢字表以外の文字

 文字の解説にあたって、その文字構造の各部分について説明するときに、当然のことではあるが、常用漢字以外の漢字がその要素となっていることが多いので、そこから解説することが必要となる。たとえば基の場合、音符は其(き)の字であるが、其は常用漢字にはない。其は箕(み)の象形の字で、わが国でいう塵取(ちりと)りの形である。少し横幅の広い四角形のものであるから、其には四角形のものの意味があり、棋(き)(しょうぎ)・碁(き)(ご)・旗(き)(はた)・箕(き)(み。ちりとり)・欺(ぎ)(あざむく。角ばった面をつけておどす)は、みなキという音と四角形のものという意味を承(う)ける字である。従ってそのことの解説抜きでは、それらの字の意味を理解することはできないのである。また志は之(し)(志の上部の士は、もと之の形で、行くの意味)を音符とする字であるが、之は常用漢字ではない。しかし志・寺・往の字は、みな之を字の要素として含むものであるから、之を解説することがなくては、それらの字を説くことができない。
 文字の構造によって字源を明らかにしようとすれば、その文字構成の要素となる主要な単位の字形について説明する必要があり、常用漢字以外の文字をも含めて、その複合の関係を明らかにしなければならない。それでこの書では、常用漢字以外の多くの文字を、解説の文の中で取り扱うことになった。常用漢字以外の構成の単位となる字の理解は、むしろ文字学の基本にかかわるものであり、文字の形体学的な理解の主要な方法であるからである。

   5  文化史的な理解の方法
 漢字の理解には、漢字の形だけでなく、その形が意味する内容についての理解が必要である。たとえば史は[説文]3下に「又(いう)(手)の、中を持するに從(したが)ふ」とし、「中正を持する」という史官の立場を示すものとするが、史・使・事が一系列の字であることから知られるように、それは祭り、祭事に関する字である。祭事の記録がのちの史(ふみ)の起源となるのであって、史の字が作られたときに、歴史記述の理念としての中正(どちらにもかたよらないで正しいこと)というような観念が、すでにあったのではない。文はもと死者の胸に文身(一時的に描いた入れ墨)を加えた形である。死者の霊が死体から脱出するのを防ぎ、死者の復活を願って美しい朱色でバツ形などの文身を加えた。産(産※)は子どもが生まれたとき、その額(厂(かん)の上に、彦(げん)(彦※)は成年に達したとき、その額(厂)の上に文身を描くことを示す。みな加入儀礼の意味をもつ字である。婦人が亡(な)くなったとき、両方の乳房(ちぶさ)に文身を加え、(せき (あきらか)・爽(そう)(あきらか)といった。これも加入儀礼の意味をもつ字である。
 漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものであり、そのような生活の場から離れて、観念的に構成されたものではない。およそ3300年前に漢字が成立した当時の宗教的な観念に基づいて、儀礼のあり方がそのまま文字の構成の上に反映されている。それでたとえば死葬の際の儀礼は、そのままその関係の文字の構造の上に反映されている。そのとき、死者の衣に対していろいろの儀礼が行われたことが、文字の構造によって知られるのである。

 哀(死者の衣の襟(えり)もとの中に、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の
  【さい】を入れて、死者の魂(たましい)をよびかえす儀礼)
 袁(えん)(死者の衣の襟もとに霊の力を持つ玉(ぎょく)をおき、その枕もとに足あとの
  形で行くの意味をもつ之(し)を加えて、死者が死後の世界に旅立つのを送る儀礼)
 (かい)(死者の衣の襟もとに(なみだ)を注いで、死者を懐(なつ)かしみ懐(おも)
  う死別の儀礼)
 (かん)(金文の字形は(かん)。死者の衣の襟もとに死者の霊に力をそえる玉をおき、そ
  の上に生命の象徴としての目をかいて、死者が生き還(かえ)ることを願う儀礼)
 衰(死者の衣の襟もとに麻の喪章(もしょう)をつけて、死者の穢(けが)れを祓(はら)う儀礼)
 展(死者の衣の襟もとに呪具(じゅぐ)の(てん)をつめて、死体に邪霊がとりつくのをぐ儀礼)

上にあげた諸字によって、当時の死葬の礼がどのような形式で行われていたかを知ることができる。また、死葬の儀礼の実際を復原することもできるのである。このことはこの関係の文字だけでなく、古代の文字として残されている字形の全般について、いうことができる。それは字形の解釈に必要なだけでなく、古代の人々の生活や思考のしかたの全般に及ぼすことができる。文字を通じて、その生活史や精神史的な理解にまで及ぶことができるのである。またそのことについての理解がなくては、文字を体系として理解することは困難であろう。文字をこのように文化史的な事実として理解することは、文字学の極めて重要な一面であるので、この書では、そのことについても多少の論及を試みておいた。
 この書は漢字の形とその意味との関係の解説を主とするものであるから、その用例としての語彙(ごい)を列挙することをやめて、代表的な用法についての用例にとどめた。漢字について、最も基本的な字形の構造についての学習を目的とするからである。
 この書の作成に当たっては、解説の文は白川静が担当執筆し、その他は解説文の修訂をも含めて、すべて津崎幸博が担当した。校正は津崎史も担当した。
 平成15年12月
             白川静


    凡 例

    見出しに収録した文字
 常用漢字表にある全文字1945字と、解説に必要な1字(曰(えつ)。
 見出し文字総数は、1946字と、その旧字形798字の2744文字。

    見出し字について
 常用漢字表にある文字は、その字形によった。
 その字形が旧字形と異なるときは、旧字形を(  )に入れて示した。
 「圧」 5  (壓) 17
 アツ  (オウ(アフ=@ おさえる しずめる)
 旧字形には、書き方の違いによるものも含めた。
 字形は一応[康熙字典]によったが、字形学的に改める必要があるときは、改訂を加えたところがある。

    配列について
 漢字はその字音によって、五十音順に配列した。同じ音の字は総画数順、同画数の字は常用漢字表の掲載順によったが、一部異なるものがある。
 常用漢字表に訓でのみあげられているものも、字音のあるものは字音によって収めるようにした。
 [例]坪は、訓の「つぼ」ではなく、字音の「ヘイ」で立項
 検索しにくい音訓には、案内見出しを用意した。
 卸(おろ)す・卸(おろし)→シャ(卸)(266頁)

    字の画数について
 画数は運筆上の実際の数に従った。
 くさかんむり、しんにょうの字は、新字形では3画とするが、旧字形では4画として数える。
 画数は見出しの下に、算用数字で示した。

    字音・字訓について
 字音・字訓は、常用漢字表にあるすべての音訓(太字で表示)と、語彙として実際によく用いられる音訓のみをあげた。
 字音はカタカナ、字訓はひらがなで表示し、旧字音は( )内に示した。

    文字資料について
 古い文字の資料として、甲骨文字(卜文(ぼくぶん)、金文(きんぶん)、および[説文解字(せつもんかいじ]に収める籀文(ちゅうぶん)と古文、篆文(てんぶん)のおもな字形を示し、以上の順に掲げた。
 「疾」 10
 シツ  やまい  (はやい にくむ)

    解説について
 字形は六書(りくしょ)の法にもとづき、象形・指事・会意・形声・仮借(かしゃ)によって解説した。
 【さい】は、単独の文字として字書に掲げられない字であるが、甲骨文の【さい※】(さい)と関連のある形であるので、口と区別するために【さい】(さい)と音を付けることにした。
 解説_会意。口と‘可−口’(か)とを組み合わせた形。口は【さい】で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。その【さい】を木の枝(‘可−口’)で殴(う)ち、祈り願うことが実現するように神にせまる。    (可の項)

    ふりがなについて
 引用書名、王朝名、その他常用漢字表の音訓にあげられていないもの、読みづらいもの、読みを特定したいものなどには、適宜ふりがなを付けた。

    引用文と出典について
 古典の引用にはすべて、旧字形・旧字音・歴史的かなづかいを用い、出典は原則として書名・篇名をあげた。

    用例について
 見出し字を使用する代表的な語彙と、その意味・内容をあげた。
 用例_「木石(ぼくせき)」 木と石  「木製(もくせい)・木造(もくぞう)」 木を材料として作ること  「木皮(もくひ)」 木の皮  「木片(もくへん)」 木の切れ端  「巨木・大木」 大きな木  「古木・老木」 年を経た立ち木  「枯木(こぼく)」 枯れた木  「木陰(こかげ)」 木のかげ。木の下  「木立(こだち)」むらがり立っている木  (木の項)
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