「うか」133  トップページへ
ニ ュ ー ス ・ お 知 ら せ

      ご報告とご案内    岡田 健嗣

 1 昨年度・2024年度に賛助会費をご納入いただきました皆様に、深く感謝申し上げます。
 ご芳名を左に掲げて御礼とさせていただきます。

  雨宮絢子様、関口常正様、河村美智子様、
  清水静雄様、政井宗夫様、田崎吾郎様、
  岡稲子様、武田幸太郎様、木原純子様、
  大滝正雄様。

 謹んで御礼申し上げます。
 有効に使用させていただきます。

 2 『諸注評釈新芭蕉俳句大成』
 昨年度・令和6(2024)年度分の、横浜市中央図書館様への納入書として、『諸注評釈新芭蕉俳句大成』(佐藤勝明編、明治書院)の漢点字版を、第4分冊から第11分冊までの8分冊を製作して、納入致しました。
 図書館を通して貸し出しを受けられますので、奮ってご利用下さい。

 その中から、芭蕉の最後の句をご紹介致します。

 清滝や波にちり込(こむ)青松葉  (笈日記)

 【考】 元禄7(1694)年、芭蕉最後の作。季語については、「ちり松葉」(常盤木の落葉)で夏とする説、一句の季感から夏とする説、名所の無季の句とする説とがある。『芭蕉翁追善之日記』『笈日記』10月9日の条に、京都の嵯峨で詠んだ「大井川浪に塵なし夏の月」が園女亭で詠んだ「* 白菊の目にたてゝ見る塵もなし」と紛らわしいので改作したと言って、病床の芭蕉が支考に示した句として出る。去来も同様のことを芭蕉から聞き、元禄8年1月29日付許六宛書簡や『旅寝論』『去来抄』に記しているが、改作前の句を「* 清滝や浪に塵なき夏の月」としている。改案のことは、去来経由で『浪化日記』、許六の「自得発明弁」(『俳諧問答』)、支考経由で土芳の『蕉翁句集草稿』『3冊子』にも記される。『翁草』に「清滝眺望」と前書。『泊船集』は「清滝」と前書、「波に塵なしといふを、か様になしけるは翁の遺言也」と付記する。
 【解】 清滝の清冽な渓流に青々とした松葉が散り、波に吸い込まれて行く、の意。「清滝」は清滝川。嵐山の上流で大井(大堰)川に合流する。
 (中略)
 【評】 季語について、【考】に挙げたように諸説があるが、諸注も指摘するように、常盤木の落葉は古葉の落ちるのを言い、『御傘』には「松竹の落葉は雑也」ともあって、準じるとしても違和感をぬぐえない。素直に雑の句としてよいのではないだろうか。一句の解については、単なる景気の句と見る説、死を前にした芭蕉の心象風景を読み取ろうとする説とがあり、後者においても、その心象風景をどう捉えるかで意見が分かれる(諸家の説については、福田真久前掲書及び『芭蕉、世界へ』〈あまのはしだて出版、1994〉に詳しい)。その背景には、本句を動的なものと見るか、静謐なものと捉えるかの違いがあり、その点の吟味も必要であろう。
                           [嶋中道則]
 トップページへ