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野馬追文庫(南相馬への支援)(10)
                                  山内 薫(墨田区立ひきふね図書館)

 南相馬へ(2)

 いよいよ11月23日「おはなし&あそび」の当日、9時にホテルのロビーで待ち合わせ、Kさん、Tさん、Dさんと私の4人でタクシーに乗り、会場である原町牛越仮設住宅第2集会所に向かった。その途中でAさんの経営する酒屋さんに寄った。Aさんは酒屋の傍ら市長の秘書もなさっており、以前Kさんが南相馬を訪れた際に乗ったのがAさんの友人タクシーだった。その時の会話の中でAさんに連絡を取るから桜井市長に会うように進められて実現したのが、昨日の市長との対面だった。KさんがAさんへのお土産を渡し、私も今までの「南相馬への支援」をまとめた冊子を差し上げた。原発事故後、ほとんどの市民が緊急避難した後、多くのこそ泥が南相馬を徘徊したときに自警団を組織したという話を聞かせて下さった。Aさんから頂いた名刺には「南相馬緊急防犯パトロール隊代表−福島県警察本部長認可一四八号」とあった。Aさんが案内して下さったお店の裏の部屋の壁には毛筆で書かれた半紙が3枚貼られており、そこにはそれぞれ次のような言葉が記されていた。

  世界史に残る、原発事故
  一企業の人災事故そして、
  国策だった!寒い3月でした。
  私たちは忘れない、私達には、
  未来があるんです。
  山があっても山がない。
  田畑があっても田畑がない。
  川があっても川がない。
  青い海があっても海がない。
  生命(いのち)は、平等なんです。
  くやしーです。悲しいです。
  忘れません!天国の人達も
  一生心のひばくです。
  皆、幸福(しあわせ)にくらしていました。

  握ればこぶし
  開けばてのひら
  道理百遍
  義理一遍
  筋の通った話を百回聞かせるよりも
  たった一度の義理を尽くした
  理屈抜きの民意を見せることが之を動かす

  今、自分は何を考えています。
  家族、放射能、将来のこと・・・・。
  この南相馬は、世界の注目を浴びています。
  東電と国によっておそらく何十年も世界最大の原発事故の30キロに住んでいるからです。

 Aさん宅を辞して、タクシーで集会所に向かった。仮設住宅のある場所は南相馬郊外にできた南相馬ジャスモールというイオンスーパーセンターのすぐ隣に位置する広域の仮設住宅だった。この牛越応急仮設住宅は南相馬市最大の仮設住宅で、まだ建設中の仮設住宅も含めて380の住戸になる予定で、大型商業施設の隣ということで若い人に人気のある仮設住宅だとタクシーの運転手が話して下さった。住宅街に入るとタクシー運転手の親戚の方が車に寄ってきて挨拶を交わしていた。親戚や知り合いが多く仮設住宅で生活しているようだ。9時半前には第2集会所につき、生活支援相談員のSさんにお会いした。Sさん宅もまだ放射線量が高く、お子さんたちは福島と仙台に行って仕事をされているということだった。30畳ほどの集会所の集会室にはすでに3組の親子が待っていて下さった。部屋のコーナーの白板に持参した乾千恵さんのリトグラフ「馬」と「月」を掲げて、10時の開始までの時間TさんとDさんが折り紙遊びや松ぼっくりを使ったクリスマスツリー作りなどをして下さった。
 お話し会のはじめには若いお母さんが4人、6ヶ月の赤ちゃんを筆頭に小学校低学年の男の子が1人、学齢前に子どもたちが6人、高齢の婦人がお2人集まって下さった。
   
   パタパタ

 はじめに、浦和子どもの本連絡会のDさんが素話(ストーリー・テリング)で「ひなどりとネコ」(『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編、実業の日本社、1988年所収)というお話をして下さった。そのあとお話しの舞台の背景に並べた乾千恵さんのリトグラフにちなんで『もじと絵』(乾千恵 文字、黒田征太カ 絵・ことば、アートン 2003年)という絵本を読んで下さった。そのあとは私の番で、先ず『つきのぼうや』(イブ・スパング・オルセン作・絵、やまのうち きよこ訳、福音館書店 1975年)という縦長の絵本を読んだ。地上の水たまりに映った自分を見て、友達になりたいのでその月を連れてくるようにとつきのぼうやを遣わすストーリーで、空からだんだん地上に降りて最後は海の底まで降りる途中で様々なものに出会うのだが、絵本の一部分を使ってパタパタという昔の子どものおもちゃに仕立てたものがあるので、絵本を読んだ後それを見てもらった。
 そのあとはKさんの手遊び、そして野馬追文庫のはじめの頃に送った絵本『うさぎさんてつだってほしいの』(シャーロット・ゾロトウ作、モーリス・センダック絵、こだま ともこ訳、冨山房1978年)を読んだ。次は再びKさんの遊びで、新聞紙を広げてその上に乗り、じゃんけんをして負けた人はその新聞紙を半分に折ってゆく。負けると新聞紙は
   
   新聞紙に乗ってじゃんけん
   
  巻紙芝居 
どんどん小さくなってその上に立っていられなくなると負けという遊びで、子どもたちは歓声を上げて楽しんでいた。丁度その遊びに入る頃昨日懇親会に誘って下さった保健師のOさんが会場に来て下さり、Oさんも遊びに参加して下さった。
 次は写真絵本『LOOK AGAIN!』(TANA HOBAN写真 マクミラン 1971年 未邦訳)で、右ページは真っ白い紙に5センチ角の四角い穴が開いていて、次ページの写真の一部分が見えるようになっている。(絵本の縦は24センチ、横は20センチ、写真はすべて白黒)最初の写真はサボテンのトゲのようなものが穴から見えている。ページを開くとたんぽぽの綿毛の写真が現れる。そして次のページを開いた左側には男の子が口を膨らませて綿毛を飛ばしている写真が載っている。その右の四角の中には縦の縞模様、白いページを開くとシマウマの顔の写真、次のページはシマウマの全身写真・・・・・。というような構成になっているので、四角の中の部分だけ見てもらってそれが何かを子どもたちに当ててもらうのである。中にとても勘のいい女の子がいてかなり難しい写真も当ててくれた。
 そして最後は「おはなしとあそび」のチラシに使われた『おおきなおおきなおいも』(赤羽末吉さく・え 福音館書店 1972年)の巻紙芝居。この巻紙芝居は、1972年10月にこの本が出版された直後の12月に、図書館のクリスマス会で上演するために、前の晩に一晩で作ったもので、障子紙一巻半を使って作成した紙芝居である。この絵本は子どもが描いたような単純な黒の線描に桃色を着色した88ページの絵本なので、何とか一晩で描き上げることができた。芋掘り遠足が雨で一週間延びることになった幼稚園の園児たちが紙をつなぎ合わせておおきなおおきなお芋を描くという話で、描き上げたおおきなお芋の場面が延々14ページも続く見せ場がある。この部分を実際のおおきな1枚の紙にできないかというのがこの巻紙芝居を作成した動機で、巻紙芝居ではこの部分が3メートルほどのおおきなお芋として描かれている。この巻紙芝居は完成以来様々なところで上演されたり紹介されたりしてきた。35年ほど前に女性雑誌の「an・an」に写真入りで紹介されることになったときに作者の赤羽末吉さんに直接電話をして著作権の許諾を頂いた。その後も様々な図書館などに貸し出しされ、その都度、紙を巻くための木の棒が付いたり、巻紙芝居を入れる箱が付いてきたりして今に至っている。巻紙芝居は紙の両端を2人の演者で持って、1人が絵を開いていき、1人が巻き取って演じていくのである程度の練習が必要となる。今回は大阪のTさんが巻き取り役を引き受けて下さり、前日の夜に練習をして本番に挑んだ。
 お話し会終了後、生活支援指導員の方やお話し会に来て下さった高齢の女性とお話ししたが、やはり家族がばらばらになってしまっていることについて心労があると話された。その女性の家は震災後野生化した牛に荒らされたという。
 仮設住宅の集会所でお昼のお弁当を頂き、Kさんはまだ行くところがあるとのことで別行動を取り、私達はタクシーで南相馬市図書館まで帰った。大阪のTさんは飛行機で大阪に帰るため仙台行きのバスに乗り、私とDさんは14時発の福島駅行きのバスに乗って帰途についた。福島の市内に入るとあちこちの家の屋根に何人かの白い服を着た人たちが登り、ホースで除染している姿が見られたのだった。
 なお、この「おはなし&あそび」様子が下記の2つのホームページに載っており、その時の写真を見ることができる。
  はあとふる・ふくしま
  http://www.pref-f-svc.org/archives/6373
  子どもたちへ<あしたの本>プロジェクト
  http://www.jbby.org/ae/page/3/?lang=ja

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