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   点字から識字までの距離(66)

                         
山内薫(墨田区立あずま図書館)

    漢字批判(下)
 「社会言語学」という言語と社会の相関関係を研究する言語学の一分野がある。その「社会言語学」と題された雑誌が2001年から毎年1回刊行されており、第1号創刊の辞には「本誌は、ある人が意識する/意識しないを問わず、言語に対してとる態度がどのような意味を持つものであるかという問題を徹底的に追究しようというものである。」と書かれている。
 現在までに刊行された合計六号の目次を拾ってみると「漢字という障害」(あべ・やすし)、「現代日本における差別化装置としてのかきことば−漢字表記を中心に−」(ましこ・ひでのり)、「漢字という権威」(あべ・やすし)、「漢字をめぐる六つの迷信」(J・マーシャル・アンガー)、「漢字イデオロギーの構造−リテラシーの観点から−」(角知行−すみ・ともゆき)などの漢字に対する批判的な論文が目にとまる。その多くは障害学の視点に立った論考で、点字使用者や弱視者をはじめ、読み書きに障害のある学習障害者、日本手話を第1言語とするろう者、知的障害者、低識字者等々、漢字を読むことに困難を抱えている漢字弱者といえる人たちにとって漢字がいかに社会的な障壁になっているか、漢字弱者の「漢字問題」の本質は、漢字弱者をとりまく社会環境にこそあるという視点で漢字の問題を捉え直そうとしている。今回はあべ・やすし氏の「漢字という権威」(『社会言語学』第四号 「社会言語学」刊行会 2004 所収)を参考に漢字の問題を考えてみたい。
 さて、現在までに漢字についてのよく言われてきたのは次のようなことばである。「漢字は表意文字である。」「日本語は漢字仮名交じり文でかかれるものである。」「漢字なしでは同音異義語を区別できない。」こうした漢字を巡るいわば神話とも言うべき思いこみをあべ氏は1つ1つ解体してゆく。
 まず「漢字は表意文字である」といわれるがもともと漢字の8割以上が形声(音を表す字と意味を表す字を合わせて1つの漢字を作る方法)文字であり、ものの形をかたどって文字を作った象形文字はごくわずかで、その象形文字でさえ一定の読み方が決まっている。漢字にはそれぞれ音があり、音を伴わない字は意味のある語となりえない。従って漢字は概念と結び付いており漢字を見るとまず意味が分かり、それから発音が分かるという漢字論は成立しない。漢字の意味を理解するときにも、書くときにも脳の意識下の処理過程においては音声言語が決定的な役割を果たしていることが実験研究によって証明されている。私たちがワープロの入力で同音異義語の置き換えを間違えたり、校正で誤りを見落とす原因も漢字の認知処理が音声言語主導で行われるからだという。あべ氏は音が同じだが全く誤った漢字を6カ所挿入した2行の文章を読ませて、間違った漢字が使われていても音声化してみると、もともとの意味が理解できることを証明している。(その文章は「わたし自信は性格にはわからないのだが、わたしの正確はのんびりしているそうだ。大将的に彼はせっかちで、いくら中位しても効かない蛍光がある」というものだ。)
 次に「日本語は漢字仮名交じり文でかかれるものである。」という誤解は少し考えてみれば当たり前のことだが、言語と文字を等しいと見るあやまりである。私たちの母語である日常使われている日本語は音声言語であり、漢字仮名交じり文は日本語を表記する1つの方法にすぎない。そうでなければ点字で表記された文章やローマ字や仮名だけで書かれた文章は日本語ではないということになってしまう。
 この連載でも以前同音異義語を取り上げたが「漢字なしでは同音異義語を区別できない。」と多くの人が思いこんでいるし、事実漢字を説明しなければどちらか判別の付かない例は枚挙にいとまがない。同音異義語については日本語の音韻構造が他の言語に比べて単純であるために多くなるという見解があるが、むしろ現実には漢字の音読みに使われる音が非常に限られ、偏っているという事実があり、日本語のおとを有効に利用していないということこそ漢字語に同音異義語がたくさんある原因なのである。「漢字は書きことばにおける同音衝突をさけている救世主ではなくて、音読み種類数の不足という意味でむしろ同音語の元凶であり、話し言葉に混乱をもちこんだ。」(『増補新版イデオロギーとしての「日本」』ましこ・ひでのり 三元社 2003)
 あべ氏は、はじめから話し言葉として使うつもりのない造語ばかりを生み出し、会話では使えない漢字語をありがたがり、文章の中で乱用してしまうのは漢字に対する権威主義によるものであると糾弾している。こうした漢字をありがたがる態度を漢字依存症と呼び、この病から日本人が解放されたなら「ことばのいいかえ」の大切さが自然と認識されるようになるだろうと述べている。
 そうした意味であべ氏は点字について、点字も墨字と同じように文字として対等の位置に置かれるべきであり、むしろ漢字文化をよそに百年以上にわたって日本語を表記してきた先をいく文字と評価している。そして、これからは、漢字にたよらずに、点字になおしても、つまり、表音文字になおしても、無理なくよめる文章、耳できいてわかる文章をかくべきであると結論している。(あべ・やすし氏の視覚障害者と点字などについて詳しく述べた論文「漢字という障害」は『ことば/権力/差別−言語権からみた情報弱者の解放』 ましこ・ひでのり編 三元社 2006 に収録されている。)

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