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   点字から識字までの距離(65)

                         
山内薫(墨田区立あずま図書館)

    漢字批判(中)
 漢字批判の中でも最も急進的なものは、日本語を捨ててアルファベットを用い、英語やフランス語を日本の国語にしようという主張だろう。今回はそうした主張を展開した代表的な2人を紹介する。
 「小説の神様」とまで称された文学者の志賀直哉が第2次世界大戦敗戦の翌年『改造』という雑誌に「国語問題」という文章を寄稿している。その中で志賀は「吾々は子供から今の国語に慣らされ、それ程に感じていないが、日本の国語程、不完全で不便なものはないと思う。その結果、如何に文化の進展が阻害されていたかを考えると、これは是非ともこの機会に」(中略)「世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとって、その儘、国語に採用してはどうかと考えている。それにはフランス語が最もいいのではないかと思う。」と述べている。その前段では「私は60年前、森有礼が英語を国語に採用しようとした事を此戦争中、度々想起した。もしそれが実現していたら、どうであったろうと考えた。日本の文化が今よりも遙かに進んでいたであろう事は想像できる。そして、恐らく今度のような戦争は起こっていなかったろうと思った。」と日本語が悪いために戦争が起きたといわんばかりに日本語を糾弾している。
 敗戦によって国民が自信を喪失している中、戦争に負けた要因の1つとして日本語の非能率性が非難を浴びたのである。
 志賀直哉の論文の前年、昭和20年11月12日の読売報知新聞の社説は「漢字を廃止せよ」という題で次のような論旨を展開している。
「民主主義の運営を期するには一定の知能の発達を必要とする。その運営をさらに円滑化するためには一層大きく知識と知能とを高めねばならぬ。文明社会において知識と知能とを高める最も広汎かつ基礎的な直接手段は言葉と文字である。階級的な敬語その他の封建的伝習の色濃い日本の国語が大いに民主化されねばならぬのはいうまでもない。しかし、日本にあっては言葉記載の手段たる文字改革の必要は特に大きく、政治的な意味さえある。現在日本の常用文字たる漢字がいかにわが国民の知能発達を阻害しているかには無数の例証がある。特に日本の軍国主義と反動主義とはこの知能阻害作用を巧みに利用した。八紘一宇などというわけの解らぬ文字と言葉で日本人の批判能力は完全に封殺されてしまつた。」(中略)「一切の封建的伝統と障害物はかなぐり捨てねばならぬ。いまこそ封建的な漢字に対しても再批判を下すべき時が来たのである。漢字を廃止するとき、われわれの脳中に存在する封建意識の掃討が促進され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追随しうるのである。」志賀を初めとしてこのような論調が敗戦直後には一般的であったのだろう。この社説の中で「或る調査によれば、漢字仮名交り文でする国民学校六年間の課程は、点字使用の盲人教育において、僅か3年乃至(ないし)4年の間に完了されうるという。日本の児童は国民学校、中学校を通じて文字の学習に精力の大半を消耗する。そのため知識そのものを広めかつ知能を高めるための真実の批判的教育は閑却される。欧米先進国では文字が簡単で、その学習の必要は殆(ほとん)どない。一切の時間と精力が知識そのものの獲得に向けられる。この相違の実際の結果はいかに大きいことか。われわれ自身ですら忘却、非能率その他漢字から受ける不便のどんなに大きいかをくどくどと述べる必要はあるまい。」と点字にまで言及している。
 ところで志賀の文の中で「60年前、森有礼が英語を採用しようとした」とあるが、初代の文部大臣である森は日本語を廃止して英語を採用しようとした人物として非難され、以後森の考えは多くの国語学者から軽率で言語道断の暴論として攻撃されてきた。言語学者の鈴木孝夫は「森有礼は、日本が近代的な国家になって西洋と伍して行くためには、日本語というきわめて非論理的、不合理、前近代的な言語にしがみついていたら日本は近代化ができない。思いきって日本語をやめて、英語を国語として採用すべきだ。そうすれば強くなるというわけです。」(『ことばの社会学』1987年 新潮社)と述べているが、森は日常話されている日本語を廃止すべきと言ったのではなく「通商語」(外国と商業取引をする意味の通商)としての英語の必要性を説いていた。森が英語の採用を述べた『日本の教育』(1873年刊)は、そもそも英語で書かれた本であった。その中で森は「これまで日本のあらゆる学校は、何世紀にもわたって、中国語を用いてきた。」とか「日本の書きことばの文体は中国語同然である。あらゆるわれわれの教育機関では中国の古典が用いられてきた。」など、漢字、漢語、漢文に支配されてきた日本のことばは自立した言語ではないという考えが縷々述べられている。森は「現在日本で用いられている書きことばは、話しことばとまったく関係がなく、ほとんどが象形文字でできている。それは混乱した中国語が日本語に混ぜ合わされたものであり、すべての文字そのものが中国起源である。」と述べているが、こうした論旨をみると、現在のわれわれにとっては当たり前の概念である日本語が、明治の初めの時代には「日本の国語」として認識されていなかったことが分かる。日本の国語が成立するためには「言文一致」によって書きことばと話しことばを和解させること、そしてもう一つは国語の統一性を支える政治的な国家意識が求められたのである。(この森有礼と国語の問題については『「国語」という思想−近代日本の言語認識』イ・ヨンスク著 岩波書店 1996年による。この本は日本という国家を統合するための「国語」という概念が、明治以降どのように形成されたかという経緯を興味深く跡付けている。)

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