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          訳書紹介『神さまがくれた漢字たち』

 『神さまがくれた漢字たち』
   2004年11月19日 初版第1刷発行
   監修者  白川 静
   著 者  山本史也
   編 者  特定非営利活動法人 文字文化研究所
   第1章  初の物語

    4つ目の蒼頡
 中国の遠い遠い昔のこと、両眼にそれぞれ2つの瞳、あわせて4つの瞳をもつ男、蒼頡、その蒼頡はまるで険しい目つきで、さきほどから、ただきょろきょろきょろきょろと、何かある1点を見つめてばかりいます。それだけでもうただならぬ気配です。その何かとは、じつは何のへんてつもない鳥と獣の足跡であったのです。しかしやがてそれらの足跡の模様ごとに微妙な異なりのあること、そしてそれには一定のきまりが貫かれていることを、その異形の目は、しかととらえました。蒼頡は自ら察した、その自然の規律を応用して、漢字をつくったのである、と久しく中国では伝えられてきました。
 そのとき、天は粟を降らし、鬼は泣き叫んだとも、『淮南子』は語るのですが、どうにも信じがたいことです。鬼は私たちの想像する鬼ではなく、すなわち死霊です。
 たしかに未曽有のことを語る怪異譚ではありますが、ただ、漢字の誕生が、あたかも天と地の秩序をひっくりかえすような、畏るべき奇蹟として中国古代の人々に受けとめられたであろうことは、もう疑う余地がありません。漢字の初めにたいする、人々のとてつもなく大きな驚きと動揺とが、この不思議な伝説からうかがい知ることができそうです。もっともわずか一人の男の魔術めいた手品ごときで、漢字がひょいひょいとつまみだされたものなどとは、とうてい考えられることではありません。
 やはり文字は、人々がその時代の社会や生活の切実な求めに応じて、年月を費し、心を尽くし、工夫を凝らして、つくりあげたものです。漢字とてそうです。のちとくに漢字は、しだいにその形を整え、数を増し、ついにはそれら一字一字が強いつながりを保ちながら、その壮観な世界を築いてゆくのです。
 その漢字の世界は、あるいは星座の世界にたとえられるのかも知れません。星々は、それ自体、1つずつの石の塊にすぎません。もともとはどのようなつながりもなく、ただ別々に空に散らばって浮かんでいただけの星々は、「神話」や「物語」のうちに収められ、互いに結びあわされて、やっと1つの小世界を構成します。
 そしてこの1つずつの小世界には、それぞれにふさわしい呼び名が与えられました。それが星座です。夜ごとに紡がれる星々の「物語」は、またその星座と星座とをうつくしくつなぎ、ここに星座の「神話」が形成されます。このとき、星々ははじめて生命を注がれ、あたかも自ら発光するものでもあるかのように、その有機的な世界を皎々と夜の空にひらきはじめるのです。
 漢字の世界はといえば、もう生まれた当初から、その1字1字は互いに緊密に調和して、それ自体で、整然とした世界を構成していたのです。その成立のときにしてすでに漢字の世界は「物語」られるものとしての宿命を負っていたともいえます。
 その、星座にもたとえられる漢字の世界は、おおよそ3300年前、中国では、殷という王朝が最も安定した時期、紀元前1300年ころにつくられたものとされます。じつは、それ以前の「夏」と呼ばれる時代にも、たとえば陶器に描かれた、数字や文字らしき模様が見られなくもないのですが、もとより、それは文章を形づくるはたらきももたず、またほかの文字らしきものとも結合することのない、いわばひとりぽっちの符号でしかありません。それはまだ文字といえないのではないかと思います。漢字は、漢字の世界に属してはじめて、その文字としての生命をもつからです。
 星座は、宇宙に生まれた無数の星々の壮大な集合といってよいのですが、それにくらべると、生まれた当初の漢字の世界は、せいぜい1万字にも満たぬ文字から成り立つ微小な世界にすぎません。たしかに微小な世界ではあるのですが、しかし、その世界はなにしろ人々の長期にわたる努力によって結実した世界なのですから、いきおいその1字1字の漢字には、中国古代の人々の祈りや思い、また信仰や認識のあとが深々と刻印されているはずなのです。漢字はけっしてわずか1人の偶然の思いつきやひらめきで、ある日突如にして生まれるようなものではありません。もしそうならば、漢字がこれほど長く綿々と、私たちの現在にまで生きのびてきた、そうして、じじつ生きのびていることの理由が適切に説明できないように思われます。

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