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漢点字の散歩(53)
                    
岡田 健嗣

      今 女 画

 「カナ文字は仮名文字」という題で本欄を書き進めて参りましたが、図らずも季刊で発行して参りました本誌を、私の健康上の都合で、昨年10月と本年1月の2回分のお休みをいただくことになってしまいました。右の題での拙稿はまだ完結しておりませんし、考えてみたいことが山積してもおります。さらにその向こう側までの見通しも立っていない状態でもあります。一定の結論と申しますか、それなりの答えの出るところまでは考えて見たいという気持ちは強くありますが、しかし今回はお許しをいただいて、思い出話のような、たわいない軽口を労させていただこうと思います。お付き合いいただければ幸いです。

 今回の題として掲げました「今女画」、さてどのように読むのでしょうか?私が本会の活動を始めるまで、これと同様の言葉が、いつも心のどこかに響いていたように思います。
 「いま・なんじ・かぎれり」と読み下すようです。「今」は「いま」、「女」は「なんじ」、「画」は「かぎる」と読みます。
 もう十年以上前になりますが、図書館に納入する漢点字書として、岩波文庫の『論語』を漢点字訳したことがあります。横浜中央図書館に所蔵されています。勿論『論語』ですから、私に読み解けるとも思えませんが、時折それを引っ張り出して、表面を撫でるようにして、その感触を味わうようなことをやっています。そこに一つ、グッと来るものを見つけてしまいました。
 『論語』「雍也(ようや)」第六の一二、

  冉 求 曰、非 不 説 子 之 道、力 不
  足 也、子 曰、力 不 足 者、中 道 而
  廢、今 女 畫、

 岩波文庫の読み下し分をそのまま採録しますと、

  冉求(ぜんきゅう)が曰(い)わく、子(し)の道を説(よろこ)ばざるには非ず、
  力足(た)らざればなり。子の曰(のたま)わく、力足らざる者は中道にして廃す。
  今女(なんじ)は画(かぎ)れり。

 訳しますと、

  冉求(ぜんきゅう)が「先生の道を〔学ぶことを〕うれしく思わないわけではありま
  せんが、力が足りないのです。」といったので、先生はいわれた、「力の足りないも
  のは〔進めるだけは進んで〕中途でやめることになるが、今お前は自分から見きりを
  つけている。」

となります。この冉求とは冉有とも呼ばれる孔子の弟子の中でも期待をかけられていた弟子の一人で、『論語』の中にしばしば登場する人物です。この冉求が、つい弱音を口にしたところで、師から叱咤されたという構図が浮かんで来ます。(もっともこれは私の解釈で、背後に他に別の事情があったのかもしれません。)
 先ほど「これど同様の言葉が、いつも心のどこかに…」と書きましたが、冉求と私とが同位置にあるというのでは、勿論ありません。私の場合は、あくまでも私の勉強不足と努力の不足が心の底にわだかまっていて、弱音の形で表に現れたものに過ぎません。しかしこの「かぎれり」の句は、『論語』の文の文字に触れた途端に、胸に突き刺さって来るような迫力を覚えたのでした。
 現在も『論語』は、隠れたベストセラーと言われます。国鉄時代のキヨスクでも容易く手に入れることができたと言われます。現在でも同様に売店で求める方も多いものと思います。旅路の、暫し沈思する時を過ごす、恰好の友となってくれる書物なのでしょう。いや「友」ではなく、普段は精神的にも時間的にもその余裕がないところに、車中、他に何もすることのない時間をもらって、さて何をしようか、何か普段と違った、ヒントをもらって何かを考えるということもあってよいと、多くの人は考えたのかもしれません。「考える」という時間の貴重さを、人は求めるのかもしれません。(もっとも現在は、乗り物に乗る人の8割が、スマートフォンに見入っているようですので、人々の求めるものも、国鉄時代とは大きく様変わりしているのかもしれませんが……。)
 ここでいう「かぎれり」とは、きみは自らその可能性を閉ざしているのだよ、ということですが、孔子が多くの戒めを残している中でも、これは最も具体的な、手厳しい指摘のように思われます。何が手厳しいかと言えば、自らに問うてみなさい、どうですか?という言葉が、無言の内に続いているからにほかなりません。冉求ほどの人でも、自らに問わないままに弱音を吐いてしまう、それが普通の人間の有り様とすれば、そこでおしまいにしてよいのですか?と師は問うています。それが現在にまで問い続けている、そして私にも……。
 若いころの私のような、また私と同様の視覚障害者にとっては、この問いは、さらに極めて厳しい問いだと言わないわけには参りません。なぜならば、冉求の言う「子の道」どころか、私には、手がかりになる物は何もなかったのでしたし、「かぎれり」と言われても、手も足も出ない、というものだったからでした。
 しかし私ばかりでなく視覚障害者諸君をも含めて、もう一度よく考えてみたいものです。本当にそうだったのか、手がかりはなかったのか、誰か手を差し伸べて下さる方はいなかったのか……。求めよさらば与えられんということもあろうではないか、と言う声が、どこからか聞こえて来もします。
 私が『論語』の文章に出会うことができたのも、言うまでもなく漢点字版の完成によります。そこで始めて冉求と孔子との談話に、文字を通して触れることができたのでした。漢点字の文章を触読して文章を読むという体験は、このような経験となって、かなりの年齢に達した私に、多くの検知を与えてくれたと感じております。このことは本会の活動なしには叶わないものでした。しかも取り分け特筆しなければいけないことは、私が読みたいと希望する書物を、漢点字書として実現して下さった会員の皆様がおられたということです。このことはそれまでの生活に照らしてみると、ほとんど奇跡というほかありません。そのような奇跡をもたらして下さった横浜、そして10年遅れて活動を開始した東京の会員の皆様には、言葉を尽くしても尽くし切れないものがあります。この奇跡がどのようにしてもたらされたのか、私が本会の活動を始める決心に至ったところから生じたと言えば言えるのかもしれませんが、そうは言ってもその時に、20年後の現在の、この『論語』を初めとして多くの漢点字書の製作と、それらを触読することから得られている知識や思考や思想について、どの程度予想できていたか、甚だ不案内と言うほかないものでした。私が本会の活動をどのように進めて来たかと言えば、間違いなく無我夢中、五里霧中の中のこと、実際あの本を読んでああしよう、この本を読んでこうしようといった目的意識というものは、ほとんどなかったと言ってよいと思います。そうではなく、単に私の、読書欲に正直に選書して、それに従って活動のプランを立てていただき、実施していただいたのが本会の活動と言えるように思います。そのようなアモルフが、現在のような壮大な規模の結果をもたらして、また結果として本会の漢点字書の製作に、一つの筋目をもたらしているという次第なのです。このことは、誠に不思議と言えば不思議なことです。またこのことは、偏に会員各位の直向きのご尽力によるもので、自画自賛の誹りを恐れずに申せば、誠に異例な活動と言ってよいものと感じております。
 残念ながら大目標の〈漢点字の普及〉にはまだまだ及びませんが、〈漢点字〉という触読文字が、日本の視覚障害者にとって、どれほど有意義なものかということが、本会の活動から、ほぼ証明できたものと考えます。このことはご要望があれば、何時でもご説明できますし、漢点字の学習をご希望になられる方には、何時でもそのお手伝いをさせていただく用意がございます。
 また本会の活動の成果は、視覚障害者の読書のもう一つの方法である〈音訳〉にも、読書という共通の目的として、多くのヒントを授けてくれております。漢点字から得た経験は、極めて大きな蓄えを与えてくれております。私自身、音訳の今後も楽しみです。
 私にとって「なんじ・かぎれり」とは、自らに正直であれ、という励ましと受け取ってよいのかもしれないと、現在は受け止めておきたいと思っております。まだまだやり残したことは沢山あります。やり尽くすということはないのでしょうが、どこまでできるか、続けて参る所存でおります。
 変わらぬご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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