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漢点字の散歩(46)
                    
岡田 健嗣

        十 の 画


 昨年・2016年は、訃報の多い年だったという印象が強く残った年でした。私自身のことを申せば、5月に母を亡くしましたし、周辺にも大切なご家族を亡くされたり、またお仕事や社会的な活動で繋がりのある方を亡くされたりというお話を多く承りました。また著名人の訃報も相次いで、昭和がこれで本当に終わったという感を強く受けた年となりました。
 そんな年を終えようとしていたころ、私は一枚の喪中のご挨拶の葉書を落手しました。それは伊藤邦博さんの喪のお知らせでした。伊藤さんは長く東京の小学校にお勤めになられて、子どもたちの基礎的な教育の場を担ってこられました。
 私が伊藤さんにお会いしたのは、本会の活動を始めるころと重なっていました。雑談の中で、小学校の文字の教育の現状をお聞かせ下さいましたが、私は次第に羨望の念に捕らわれて行ったことを覚えています。恐らく自らが初等教育を受けたころと重なって、これほど熱心な先生は、私の周辺にはおられなかったように思われたからに違いありません。そこで私は、視覚障害者が置かれている文字の現況をお話しして、漢点字を普及させる手立てを模索している旨をお話しました。
 伊藤さんは、漢字を学ぶ、あるいは教えるには、漢字の構成要素である「形・音・義」を忘れないことが大事なことだとおっしゃって、漢字は組み立て文字であること、その組み立て方には数千年という時間の中から築き上げられた、一定の法則があること、その法則に則って、順序を踏みながら子どもたちに説明することが求められることだとおっしゃって、現場の、実践上のご苦労などを交えながらお聞かせ下さいました。
 私は、漢字の三つの構成要素である「形・音・義」、このうちの「音」と「義」は、音読・訓読を通して音声化し得る可能性があると考え、視覚障害者にも理解できるであろうが、「形」は、手の出せない分野ではないかと、以前から気になっていたところでした。しかしこの三つの要素の一つでも欠ければ、漢字という文字の把握はおぼつかないとすると、やはり視覚障害者が漢字を自分のものにするのには、無理があると考えるしかないか、そう思い伊藤さんにそのように申し上げました。すると、「そんなことはないはずだ。既に漢点字があるわけで、それを手がかりに漢字の形にアプローチしてみることは、やってみる価値のあることではないか」ということをおっしゃって、一冊の本をご紹介下さいました。その本が、『漢字の組み立てを教える』(宮下久夫、太郎次郎社)でした。この本は実に画期的な本でした。
 私は早速この本の冒頭を、当時活動を始めたばかりの本会のメンバーに入力を依頼して、漢点字の文で、読めるようにしていただきました。
 ここで紹介されている漢字の組み立て、その最小単位である「画(カク)」は、整理すれば十個になるというものでした。つまり、漢字の三要素の中でも最も大きな要素である「形」も、分解すれば十の画に整理できるというのでした。日本語のカナ文字は50個、アルファベットは26個、それに比べれば遙かに少ない数の画が、漢字の形を構成しているというものでした。
 具体的にはこうです。@縦線、A横線、Bかくかど、C斜め線、Dかくかぎ、Eつりばり、Fてかぎ、Gくの字、Hあひる、I点、となります。
 これらがどのように使用されているかを見ますと、

 @縦線、これは口・目・冂など、あらゆる文字に含まれ、構成しています。
 A横線、これも口・目・田など、ほとんどの文字を構成しています。
 Bかくかど、口の右上の角、県の左下の角などを構成しています。
 C斜め線、区・式・人などを構成しています。
 Dかくかぎ、カタカナのフ・レの形、今・幻、叫・抑などを構成しています。
 Eつりばり、アルファベットのJの左右の向きを入れ替えた形、札・礼などを構成しています。
 Fてかぎ、了・子の下の形です。
 Gくの字、ひらがなの「く」の形、災・亥・經などを構成しています。
 Hあひる、乙の形、九・机・風などを構成しています。
 I点、丶、犬・太・式・甫など多くの文字を構成しています。

 私はこれらの画の形をレーズライターで書いていただいて、まず私の頭に叩き込むことから初めました。これはさほど難しいことではないことが分かりましたが、その後、漢字という文字の構成に、どのように使用されているのかを見なければいけません。これには漢字一つ一つに当たるという、当時の私にはゴールの見えない、気の重い作業に取り組む覚悟が必要でした。そこで用意したのが、東京点字出版所から刊行されていた『点線文字、常用漢字編』という浮き出し文字で漢字を紹介している点字書でした。
 ここで分かったことがありました。
 ルイ・ブライユがなぜ点字を創案したか、これは以前より、触読文字として点字が最も優れているからだとする、如何にも尤もらしい説明が為されていました。それは、考えてみれば当然のことですが、順序が全く逆で、それまでの触読文字が、如何に読み辛いものだったかということによっていました。その触読文字とは、板などに普通の文字を浮きだたせたものだったとのことです。その読み辛さを解消して、何とか読書に供せられる文字はできないか、そのようにして考案されたのが、ルイ・ブライユの点字だったのでした。
 フランスで使用されていたのは勿論アルファベットですが、漢字に比べれば極めて単純な形であるアルファベットでさえ、文字を句に、句を文に連ねて読書をするということは、非常な困難を感じさせるものだったということです。そこでそのときの私は、十の画を頭に置きながら、点線文字を触知するということを試みていたのでした。それは私にとって、ひどく困難を感じさせられるものだったということは、ここで申すにも及ばないことです。やはり触読文字は、ブライユの創案になる「点字」でなければいけないということを、改めて納得したのでした。
 現在の私は、常用漢字であれば、何とか浮き出し文字からその形を読み取れるようになっておりますが、たとい目の前に、そのような浮き出し文字で表された文書があったとしても、それから文章を読み取ることはできないであろうことは、想像に難くありません。如何にブライユの点字が、私たち視覚障害者に恩恵をもたらしているかを銘記しなければならないと、心に刻みました。
 しかしそれとは別に、漢字の形を知ることも極めて重要なことであることを、この作業から知り得たのでした。それは、十の画から漢字の構成要素である部首が組み立てられていること、またその部首が、漢字の最小単位である「文字」でもあること、大きな文字からそれを構成している基本的な文字へ、またそれをどんな画が作っているかというところまで遡り、またそれを逆になぞるなどして、何度か往還しているうちに、もう一つ大事なことに気づかされたのでした。
 他でもありません、川上先生が漢点字を創案なさるに当たって、漢点字をその構成から、「基本文字」と「複合文字」と名付けられたことです。漢点字も、漢字の構成の基本に従って組み立てられていたことに思い至ったのでした。漢点字は、原則として最小単位の数百個の文字を「基本文字」と呼んで、一つの「基本文字」と他の一つ、あるいは複数個の「基本文字」の要素を組み合わせて、別の文字を構成します。たとえば、「人」と「木」で「休 」、「木」と「目」で「相 」、「相 」と「心」で「想 」、「囲」を基本文字としてこれを「囗(くにがまえ)」と決めて「木」を加えて「困 」としました。この構成の原則は、正に漢字の構成の原則である「六書」に基づいています。してみると漢字の構成要素である「形・音・義」は、そのまま漢点字の構成要素であるとも言えることになります。さらに漢点字と漢字を常に対応することができれば、視覚障害者にとって大きな壁と感じられている漢字の「形」も、決して手の届かないものではないと思えるようになって参りました。
 伊藤さんにはしばしば漢点字のお話をさせていただきながら、漢字について抱いている疑問を述べさせていただきました。そしてその都度真摯にご回答いただいて、本会の活動がどのような方向に向かうのがよいか、参考にさせていただいたのでした。
 川上先生はかつて、漢点字は究極の略体の漢字であるから、それから漢字の形を想像するのは難しい、そこで「字式」という方法を考えた、とおっしゃって、漢字の形を数式の方式で表す方法を提唱されました。たとえば「休」であれば「人偏+木」、「相」であれば「木偏+目」、「想」であれば「相/心」のように表します。
 本会では、『常用字解』の漢点字版を作成するに当たって、同書では漢字の形の説明が大きなウェイトを占めていることを鑑みて、字形を表す方法として、この「字式」を見出し字の次に挿入することにしました。これは決して容易なことではありませんでしたし、現在でも完成した方法とは言い切れませんが、この試みによって、いつでも・どこでも・どなたにも、漢字の形をご説明できるという手応えを得た思いでおります。
 現在『常用字解』は、音訳者の手で、音訳版の製作が急がれております。音訳者の皆様は、この漢点字版に収められた「字式」をご覧になられて、漢字の字形を音声化して下さっておられます。このことは、掛け値なく「字式」が、文字の形の説明に大きな役割を果たしていることを表していると考えております。大変誇らしい思いでおります。
 残念ながらこの「字式」と、また「十の画」は、まだまだ一般には受け入れられておりません。字形の説明の中に「十の画」の用語、たとえば「つりばり・てかぎ・あひる」などを使用することができれば、音声化に際して何と容易に説明が実現するのにと思わずにおられないこともしばしばですが、一般に向けてはできません。「字式」も同様で、一般には筆順に従った説明が求められますが、字形はそうはなっておりません。「哀」を「衣」と「口」で説明する、「命」を「令」と「口」で説明するなど、『常用字解』による理解ではそのように説明されますし、それを「字式」で示すのは大変容易ではありますが、『常用字解』を離れて単に文字の形の説明が求められる場合、「哀」の形は上から「なべぶた」その下に「口」というように進めなければなりません。「命」も同様で、「令」と「口」とを組み合わせて構成されている文字という説明ではなく、筆順に従った説明によっては、文字の形から意味へという筋道を実現することは困難です。現在の私は、「字式」と「十の画」の普及を、首を長くして待つ思いでいると言っても過言ではありません。
 この「字式」の淵源を辿れば、伊藤さんの示唆に従って「十の画」から漢字の形に当たってみることから始めたところに帰ります。その意味で伊藤さんとの出会いは、私にとって無類の幸運だったと言わなければなりません。私と同年代を生きた方を、またお一人失ったこと、無念と申すしかございません。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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