Uka79   トップページへ
漢点字の散歩(18)
                    岡田 健嗣

 故・川上泰一先生が〈漢点字〉を世に問うてから、早くも四十年が経ちました。
 漢点字発表当初は、川上先生のご指導によって、常用漢字を習得する視覚障害者が沢山生まれました。
 しかし残念ながら先生は、平成六(一九九四)年に、その道半ばで世を去られました。そして先生の、視覚障害者の言語能力を向上させようという目論見は、未だ達成されぬままです。先生のご尽力に報いられずにおります現状を思いますと、誠に慙愧に堪えません。
 そこで本会では、かつて川上先生がお作りになられた「漢点字入門」を参考に、〈漢点字〉のあらましをご紹介するパンフレットを製作しようと考えました。
 以下何回かに分けて、「漢点字紹介」としてお届け致します。
 読者諸兄姉のご鞭撻を賜れれば幸甚です。

 漢点字紹介 (1)
   1. 川上泰一先生
 川上泰一先生は、大正6(1917)年、愛媛県にお生まれになりました。戦時中、軍の飛行機のエンジニアを経て、戦後大阪府立盲学校に奉職されました。図らずも視覚障害者の教育に一生を捧げられることになったのでした。
 図らずもと申しますのは、先生は盲学校を農学校と聞き違えられたとのこと、「盲」を「農」と聞き違えて、訪ね訪ねて府立盲学校に来てみれば、視覚障害者だけが学ぶ学校だったということだったそうです。
 それまで視覚障害者(当時は「盲人」と呼ばれていました)とお付き合いしたことがなかった先生は、見るもの聞くもの珍しいことばかりで、目をくるくるさせておられたようです。
 中でも驚いたのが、視覚障害者が使う文字でした。その文字は「点字」と呼ばれて、指で触れて読むものでした。その点字には「漢字」がなく、それどころかひらがなとカタカナの区別もなかったのでした。
 しかも視覚障害者の多くが職としている鍼・灸術は漢方医学を基礎としているし、西洋医学の基礎である解剖学や生理学、病理学なども、その用語は漢方医学に由来するものが多く、ほとんど漢字を使わなければ表せません。盲学校では職業校としてそのような医学と技術を教えていました。よく見ていると、生徒たちはお経を暗唱するように、解剖学も生理学も病理学も、漢方医学や経穴学も、暗唱し暗記していたのでした。
 驚いてばかりはいられません。冷静に考えてみれば、点字に漢字がないということは、視覚障害者は漢字を学ぶ機会を奪われていることでもあります。鍼灸医学を充分学べないばかりではなく、いわゆる一般教養も不充分であるに違いない。視覚言語である「文字」の担っている役割は社会の隅々まで及んでいて、人は文字を使いこなすことで、社会人としての責任を果たしていると言っても過言ではありません。してみると、漢字を学ぶ機会が与えられていないということは、視覚障害者は1人前の社会人になるチャンスを奪われていることだとお気づきになられたのでした。
 「では誰かが触読できる漢字を作らねばならない!」、「誰か?おれしかいないではないか!」
 川上先生の苦闘が始まりました。「大風呂敷」があだ名になりました。

    着眼点は六書
 まずは漢字の勉強だ。漢字を眺めていると、面白いことに気づきました。何か基本的な文字があって、それらが集まって別の文字を作る。別の文字と言っても、音や意味が関連している。これには法則があるに違いない、それは何だろう?
 漢和辞典には「象形」とか「会意」とか「形声」とかと文字を分類しています。そこで詳しく調べると「六書」という、漢字をその成り立ちから6つのグループに分類していることが分かってきました。
 「六書」は、最も早くは後漢の許慎(きょしん)が著した「説文解字」(せつもんかいじ)に現れる分類法です。「象形・指事・会意・形声・転注・仮借(かしゃ)」と呼ばれます。
 「象形」は、ものの形を写し取ることで、「人・大・木・水・日・月・光」などの文字があります。「指事」は事物の関係を示すもので、「上・下・本・末」などの文字があります。「一・二・三・十・百」などの漢数字もこの中に入ります。「会意」は象形や指事の文字を組み合わせて新しい意味を表すもので、「愛・安・見・垂・寸・明・相・林・森」などの文字があります。「形声」は音符によってその文字の音を表すもので、「雲・経・征・性・省・転・満」などの文字があります。文字の左側に水に関する文字には「さんずい」、人に関する文字には「人偏」、樹木や木製の器物に関する文字には「木偏」が位置して、右側に旁と呼ばれる文字の要素が位置する構成になっています。「転注」は充分明らかではなく、研究者の間でも解釈の一致が見られていません。「仮借」は、字形として表すのが困難なもので、同じ音の文字を音だけ借りて用いるもの、「我・彼」などの代名詞や、「東・西」などの方位を表す文字があります。「予、余」を「我」の意味に使用するのも、仮借的な用法です。この仮借は、漢字の構成上の分類ではなく、用法上の分類です。(「白川静著『常用字解』、平凡社、2004年」より)
 この「六書」のうち「転注」と「仮借」は、構成上の分類ではないことから別にして、「象形・指事・会意・形声」の構成を参考に、川上先生は、点字符号で漢字を表そうと試みられました。

    2. 点字
 @ルイ・ブライユと点字
 「点字」はいつごろから使われていたのでしょうか?
 文字は、人間の歴史とともに現在に伝えられています。そうではなく、文字が人間の歴史を伝えてきました。文字よりも人間の歴史の方がずっと古いのですから、文字が歴史を伝えることを役割の一つとして誕生したと考えてもよいようです。現代に生きる私たちにとって、その文字の誕生を考えることには、不思議な魅力を感じます。
 「点字」はと言えば、その発生は大変はっきりしています。1825年に、フランスの片田舎の盲学校で、当時16歳であった全盲のルイ・ブライユ(1809〜1852年)という少年が作りました。その構成は、今から見れば実にコロンブスの卵のように見えますが、これが誠に画期的なものでした。
 目的もはっきりしていました。それまでフランスの視覚障害者が使っていた文字は、板にアルファベットを浮き出させたものを指で触れて読むもので、文字1つ1つを判読するのがやっとでした。文字を区別できるだけということは、語や文までは読み取ることができなかったということを意味します。語や文が読めなければ、文字が分かっても学業や文学鑑賞には不充分でした。ブライユたちは、読めない文字を前に、ずっと悩んでいました。
 そんなある日、当時の陸軍の、夜間に用いる触知暗号を見る機会に恵まれました。当時の夜は、闇が深かったので、指で触れて読む暗号が、大変有効だったのです。その暗号は、点や線を浮き出させたもので、その配置によって単語や記号を表すものでした。語の数は少なくても、命令や伝言を伝えるには充分でした。その触知暗号が、ブライユの頭に、ある閃きを与えたのでした。こうして「点字」は、今から約200年前に誕生しました。

 ブライユが考案した点字の一覧を見ると、その構成の単純さに驚かされます。しかしコンピュータ時代の現在から見れば、何と先進的だったことでしょう!点が「ある/なし」で文字を表す、正にデジタル時代を先取りしていると言っても過言ではありません。
 点字は縦3点・横2列を単位として構成されます。その単位は「マス」と呼ばれます。しかしよく見ると、1列目は1マスの上の4つの点しか使っていません。この4つの点で10個の点字符号を表しています。2列目・3列目・4列目は、それぞれ下の2つの点を加えて、その「ある/なし」で区別しています。5列目は、1列目の4つの点を下に下ろした位置の4つの点で表しています。ブライユは、この50個の点字符号を定めました。残りの13個の符号は、後の点字の発展の過程で、略字や補助記号に用いられるようになって行きます。
 アルファベットは26文字(当時は25文字で、Wはまだ確定されていませんでした)、ブライユの点字符号は50個です。その前半分をアルファベットに当て、残りを文章記号に当てても充分間に合いました。
 このようにしてブライユの点字は一応の完成を見ました。しかし、ブライユが生きている内には、その普及は見られませんでした。かれは43歳の若さで、肺結核のためにこの世を去りました。
 彼の死後その死を悼むひとびとによって、点字の普及運動が展開されて、欧州各国語に適合した点字が開発されて、現在では世界何処でも、その言語の表記に合った点字が使用されるようになりました。
 そして「点字」は、創案者のルイ・ブライユの名に因んで、“BRAILLE”と呼ばれるようになりました。

 A石川倉次先生と日本語点字
 ルイ・ブライユの点字は、開国間もない明治の我が国に、欧州先進国のスタンダードとして、社会制度や教育制度の1つに数えられて輸入されました。視覚障害者をも教育の対象と捉えることが、独立国として認められる条件の1つだったのです。
 国は明治21(1888)年に、当時東京盲唖学校の教諭だった石川倉次先生に、日本語を表記する点字の開発を委嘱しました。明くる年には一応の完成をみて、明治23(1890)年に、「日本語点字」として、認定されました。

 石川先生がお作りになった「日本語点字」は、現在も変わらず使われています。通常「カナ点字」と呼ばれますが、その構成は、ローマ字に依拠しています。石川先生が日本語を表す点字を翻案するのに着目したのは、勿論ルイ・ブライユの点字でした。そして当時欧米から多くのひとびとが来日して、日本語をアルファベットで表すようになりました。これが今日言われるローマ字で、石川先生はこの構成を点字に生かされました。
 ローマ字は50音表を利用して、5つの母音「アイウエオ」と、それに子音を加えた「カ行・サ行・タ行・…」と分類し一覧になっています。50音表は、仏教とともに輸入された梵語を利用して、奈良時代に作られたと考えられています。しかし明治に入るまでは、一般にはあまり用いられませんでした。
 石川先生はルイ・ブライユの点字の一覧の1列目が、10個の符号でできていることに注目しました。どうして10個か?それは1マスの6つの点のうち、上4つを使って組み立てられているからに他なりません。日本語の母音は5個、半分の数で間に合います。そこで1点減らして、左上3つの点で5つの母音を表すことにしました。
 ローマ字の子音は9個です。そのうちヤ行とワ行は別の処理をすることにすれば、マスの右下の3つの点の「ある/なし」で、K・S・T・N・H・M・Rの7つの子音が表せることになります。
 それに濁点・半濁点・拗音を加えて、石川倉次先生の「日本語点字」は完成しました。
 ただし先にも述べましたように石川先生は、漢字を表す点字には手をお付けになりませんでした。川上先生が盲学校に赴任なさるまで、誰も漢字を表す点字の製作には、手をお付けになりませんでした。           (続く)
前号へ  トップページへ 次号へ