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漢点字の散歩 (13)

                    岡田健嗣


    5  点 字

本稿では、〈点字〉をご存じない皆様も、点字をパターンとしてお受け止めいただければ充分です。点字で何が書かれているかを読み取る必要はありません。


 2. ドイツ語点字(1)

    
 前回まで3回に渡って、英語点字について考えて来た。私はそこで、「拡張アルファベット」という用語を用いてみたが、仮にこのような捉え方が必要ではと考えたからに他ならない。仮というのも、英語点字の解説書には、そのような語彙は、全く登場しない。1つの法則性に基づいた整理がなされているというだけで、取り立てて、アルファベットの文字はこう使用する、それ以外の点字符号はこう使用するという整理ではなかった。点字符号を大づかみに捉えて、その中にアルファベットもその他の点字符号も一緒に整理されているのであって、そういう整理に以前から気づいていただけである。
 今回はドイツ語の点字をご紹介するのだが、この「拡張アルファベット」という概念は、ドイツ語点字では極めて強く打ち出されているように見える。ただし英語点字と同様に、このような用語や概念を、取り立てて押し出している訳ではない。むしろ「当然そうなる」という取り扱いである。従ってここで言う「拡張アルファベット」は、あくまで本稿に限って使用する用語であって、その概念に普遍性を持たせようとは思わない。
 日本列島に生まれ住んでいる私たちにとっての「アルファベット」は、欧米の言語を表記する文字であって、その数が26個であるという理解を超えるのはなかなか難しいように思える。ロシア文字33個、ギリシア文字24個、そして一般のアルファベット26個というのが、規定の数値と捉えてしまう。
 ところがここに提示した「拡張アルファベット」という側面から見ると、それはあくまで私たちが見ている見方に過ぎないことに気付く。たとえばドイツ語はその表記にはアルファベットを使用している。が3つの母音"a・o・u"には変音符号(ウムラウト)が付いて、"a・o・u"とは別の音を指示する文字になるし、"sz"は一つの文字になって一つの子音を指示する。同様にフランス語でも、母音を表す文字に幾種かのアクセント符号が付いて、別の音を指示するのである。
 英語を見ると、アクセント符号や変音符号はないが、発音にはその分注意が必要になる。"meet"と"meat"は、綴りが違っていながら発音は同じである。"meat"、"great"、"real"にある母音の綴り"ea"は、それぞれに発音が異なっている。フランス語やドイツ語では、母音の発音をより正確に表記しようとした工夫がなされているように見えるが、英語ではむしろ綴りと発音の整合性よりも綴りの伝統に比重がかかっているように見える。アルファベットとはその意味で、私たちが受け止めているほどには、26個という数は、けして強い枠組みではないのかもしれない。
 * 本稿では、ドイツ語の点字表記をご紹介するのだが、ドイツ語の表記について、二つの約束事を決めておきたい。一つは、"a・o・u"のウムラウトである。通常タイプライターではeを後置して表すので、ここでもそれに倣う。従って"ae・aeu・oe・ue"という表記になる。またドイツ語では"sz"を一文字で表すが、通常タイプライターでは"B"を代用して当てる。しかし本稿では本来の"B"との混同を避けるために、"β"を使用する。

 @ ドイツ語点字と拡張アルファベット
 私が「拡張アルファベット」という考えを持つようになったのは、「ドイツ語点字」に触れてからである。
 ドイツ語には、先ず母音の変音"umlaut"(ウムラウト)と、重子音である"sz"がある。ウムラウトは通常"a・o・u"の上に符号を付けて表されるが、点字ではそれを一マスの点字符号で表す。

 ae=    oe=    ue=

 "sz"は、通常一文字"β"で表されるが、点字でも一マスの点字符号が当てられる。

 β=

 これだけ揃えばドイツ語は、点字で表記できると思える。確かに英語点字の"full spelling"の表記法は、アルファベットをそのまま点字符号に置き換えて表されるので、先ずはこれでよいと考えるのが普通であろう。ところがドイツ語点字の"Vollschrift"(総綴り字法)では、このアルファベットに加えて、3つの重子音と五つの重母音が、それぞれ1マスの点字符号で表される。それぞれが音素を表す符号であるので、点字の表記の中では、通常のアルファベットと同格に扱われる。またこのうちの重母音は、1音節に数えられる。

 ch=    sch=    st=

 au=    aeu=    ei=
 eu=    ie=

 ns(eins)  zw(zwei)  dr(drei)  vr(vier)  fnf(fuenf)  ses(sechs)  sben(sieben)  at(acht)  nn(neun)  zehn

 Dt(Deutsch)   err (Oesterreich)  Bm(Baum)  Bme(Baeume)  Fr(Frau)  Frln(Freulein)  Hs(Haus)  M er(Meister)  rben(schreiben)  ule(Schule)  Rhn(Rhein)  Wn(Wien)

 ドイツ語点字の総綴り法で単語を記すと、以上のようになる。

 A ドイツ語点字とドイツ語
 私たちが親しんでいる外国語と言えば、英語である。中学以来ずっと英語を教科として学んできた。受験科目としては最も中心的な科目であった。サブカルチャーでも、音楽はポップス、映画はハリウッド、至る所に英語は溢れていた。だが本当に親しみを感じているのだろうか?極めて心許ない。ヒアリングはできず、トーキングもスピーキングもできない。さらにリーディングもライティングもできない。全てに渡って中途半端で未熟なままなのである。
 しかしどうしてももう1つ外国語を勉強しなければならなくなった。そこで腹を括ることにした。誠に簡単に腹を括った。現在の英語力(これ以上伸ばそうとは思っていない)と同程度の力をつければいいか、と決めたのである。
 ドイツ語に触れて見て最初に感じたのは、意外にも日本語に近いのではというものである。そんなはずはない。欧州諸語の中でも最も古いゲルマン語の構造を保持している言語と言われるドイツ語である。日本語とは対極的な位置にある言語である。そのような言語を、どうして近しく感じたのであろうか?
 今思えば2つの理由に思い当たる。1つは、如何にも英語に苦しまされて来たからであろう。英語はくびきであった。もう1つは、英語ではない、別の外国語に触れることで、私の中の英語の占める場所が、だんだん小さくなって行く感触によるのであろう。これは実に心地よいものであった。
 しかしそればかりではない、ドイツ語はやはり、英語より日本語に近く思えてならない。理由を考えて見る。その1つは「格」である。
 ドイツ語の構造に「格」の占めるところは極めて大きい。定冠詞の格変化の暗誦が、ドイツ語の勉強の始まりだ。文章の構造は、格による序列によって、その構成要素である語と語の関係が位置づけられる。定冠詞の格変化を暗誦することで、語と語の序列・関係が把握できるのである。
 勿論日本語には、格変化などというものはない。しかし格を表す品詞はある。それは「助詞」である。ドイツ語の文を日本語に置き換えるとき、「助詞」、つまり「てにをは」をうまく格に当てはめてみると、案外にうまく行くことが分かる。これは英語では味わえない感触である。
 もう1つが、造語力である。
 日本語の造語は、その多くが漢語の熟語である。幕末から明治にかけて、多くの文物が西洋から渡来した。今までには見たこともなければ聞いたこともない、有形・無形の事物がやって来た。これらを日本語にするのが、当時の知識人の大きな仕事であった。「自然」、これをシゼン≠ニ読めば"nature"、「人間」をニンゲン≠ニ読めば"human"の訳語となった。また新たに作られた漢語の熟語もあった。「社会、世界、市民、国民」などは、現在普通の言葉として通用している。
 もう1つ漢語の造語力がある。役所や大企業に行くと、沢山の漢字が並んだプレートに出くわす。役所の発行する印刷物にも、やたらと漢字が列を作っている。このような漢字の並びは、漢字表記の負の部分として、かつて「もっとわかりやすい表記に改めよう」としたことがあった。それを実行すると、何と、外国語(主に英語)の発音をカタカナで表したものになってしまった。
 だがこの漢字の造語力を積極的に評価すれば、無限の可能性を秘めているとも言える。実際に「微苦笑」や「異文化」という熟語は、少し前の辞書にはない語である。専門分野、たとえば医学の用語では、この能力が大いに発揮されている。漢字1つ1つを単語と捉えて、その持つ意味と表される概念を組み合わせて新たな用語が作られる。これによってやや難解ではあっても、より的確な理解を得られる用語となるのである。
 このような用語は、漢字を単語と捉えることによって可能になるのだが、ドイツ語にも類似、あるいは同様の造語法がある。英語の名詞句や形容詞句を作るのと同じ方法ではあるが、前置詞は関与せず、分かち書きもせずに、単語が一連の列を作って、1つの熟語を構成するのである。たとえばドイツ連邦共和国は"Bundesrepublik Deutschland"であり、マールブルクの訓盲学院は"Blindenstudienanstalt"である。
 このような「格変化」と「造語力」というドイツ語の特徴を如何に点字で表すかということが、ドイツ語点字の眼目であったに違いない。
 ドイツ語の格変化は、極めて単純で規則的である。単語の語尾の変化としては、"e・em・en・er・es"の五つの変化である。この最後の"er・es"の2つは、語尾の変化であるとともに、重要な単語でもある。
 "Vollschrift"(総綴り字法)ではこの語尾変化は全てアルファベットで表記されるが、"Kurzschrift"(略字法)では、一マスの音節略字が用いられる。
 単語の簡略体は、英語点字と同様に、滑らかな触読には欠かせない体系である。英語では二つ以上の単語が任意に融合することはほとんどないが、ドイツ語では頻繁に行われる。簡略体を用意するにも、そのような造語に耐えうる体系であることが求められる。ここではそれらがどのように用いられているか、例示しておく。

 Bundesrepublik Deutschland → Bdrk Dld
 Blindenstudienanstalt → Blcudic t
 Blindenvollschrift → Blcqt
 Blindenkurzschrift → Blckzt

("Leitfaden der Blindenvollschrift" und "Kurzschrift"  1973 Blindenstudienanstalt Marburg Lahn)

                    (続く)

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