トップページへ


漢点字の散歩 (6)

                          岡田健嗣

         4  言葉に出会う

  @ 原点

 幾度も述べたことだが、私の学業は大半を盲学校で修めた。そこでは学業の基本、日本語表記の基本の〈漢字〉とその使用法は教わらなかった。二十九歳に至って初めて〈漢点字〉に出会って〈漢字〉の世界に触れることが叶ったのである。このようにして私は、〈漢点字〉を学ぶことで人生を救われた。
 こういう言い方はいかにも仰山で、ばかばかしく受け留められるに違いないし、他人の口や筆からそのような言葉を聞けば、私もそう感じるに違いない。がそのようにしか言えないのはどういうことか、常に考えは行き戻する。ひょっとしたらこのばかばかしさこそが恐るべき相棒で、〈漢点字〉との邂逅がなかったならば、その代わりに私の人生を充たしたものだったのかもしれない。だからいつもこの原点の周辺を、私は立ち去れずにいるのだろうか?そんな思いを抱いているのである。
 〈漢点字〉との出会い以前を、実はなかなか思い出すことができないでいた。勿論幼少時の思い出はある。盲学校の学童・生徒であったころの思い出もある。私の周辺の出来事を思い出すこともできる。しかしそのとき、何を感じたか、何を考えたかとなると、だんだん模糊として来る。
 私が自身の感官で受け止め、理解し、考えることをした記憶を遡れるのは、二十歳のときに社会へ出たころになってしまう。生まれて二十年の大半を盲学校という社会に生活し、その規範と習慣に守られて育ってきた。確かにそれはその意味で、大変幸福なことであった。ともかく成人したのである。そして恐らくその成長の間に享受した性行は、現在の私をも、根本のところで大きく支配しているに違いない。私の思考と言行の原理を形作っているに違いないのだ。その意味で盲学校に生活していた私達は、恵まれていたと言っても過言ではないはずである。しかし〈漢点字〉との出会いなしには、「考える」よすがさえ所有できない人生に終始したかもしれないという思いは、やはり拭えない。恐ろしいほどである。
 二十歳の時に社会に出て、何にたじろいだのだろうか?原点はそこにある。
 盲学校時代の私は、その大半を視覚障害者に囲まれて生活していた。家族以外は、視覚障害者が織り成す学校という特殊な社会である。そこでは一応の学習という課題をこなすことになっていて、宛がわれた「勉強」をしたのだが、それが、盲学校の生活が私の感官に働きかけた全てであり、思考の素材の全てであった。
 私が出て行った一般社会は、そのような盲学校の原理では動いていなかった。全てが『言葉』によって形作られ、『言葉』によって思考され、『言葉』によって行為されていた。アカデミズムや法曹や、政治や行政や、メディアや商取引の高度な言語活動ばかりでなく、極めて生活に密着したコミュニケーションの現場でも、『言葉』が大きなウェイトを占めていたのであった。それが一般であった。
 一つの例を挙げてみよう。
 私がそのころ就職したところには、先輩・同輩に、若い女性が大勢いた。若い女性たちはよくおしゃべりをした。彼女たちはそのおしゃべりで、互いの関係を滑らかにしているようであった。芸能人の話題が大半で、流行歌もよく口ずさんでいた。
 流行歌の歌詞はどれも似たり寄ったりと私には思われたが、ちゃんと覚えて歌うとなると、案外容易ではなかった。勿論節を付けるのだから、音の高低やリズムや息継ぎなど、結構な修練を要した。さらに困難だったのが、歌詞である。勿論歌を歌うだけなら、ごまかしは利く。だがその前後である。歌詞には「女、男、妻、夫」を「ひと」と読ませる類の文字遣いが頻出する。当て字と言えば当て字なのだが、これが皆さんに大変受ける。ところが私はその話に乗ることができない。「他人」と書いて「ひと」と読ませるのは一般である。だが「函館の女」を「ひと」と読ませるのは、作詞者の意図である。
 〈漢字〉をどう読ませるかは、基本的に任意である。読ませたいように読ませればよろしい。しかしこれには、読み手の〈漢字〉の知識を要求しているという条件が付く。
 流行歌一つばかりなら大丈夫、任せて欲しい。何とかこなして見せましょう。が世の中それほど甘くはありませんでした。
 一般の多くの会話には、気づいておられる方は少ないようだが、「それどんな字書くの?」という言葉がよく使われる。私もともかく教育を受けて成人したのであるから、当然それに答えなければならない。だが〈漢字〉を知らない。むにゃむにゃ分からぬことを言う。それが何回か繰り返されれば、そのような質問はされなくなる。同時に他の話題からも遠ざけられる。
 こんなこともあった。
 私は鍼灸師である。盲学校でその勉強をし、資格を取った。鍼灸の勉強の基本の一つに、「漢方医学」というのがある。「漢方」であるから中国から渡来した医学である。従ってその理論は〈漢字〉で記述されている。私達はそれを易しい日本語に訳されたしかもカナ点字で表された教本を使って勉強した。
 鍼灸で使う治療点(つぼ)を、「経穴」という。その経穴には一つ一つ名前が付いている。勿論その名前も全て〈漢字〉で表される。その読みも全て音読みである。「中府、雲門、天府、侠白、尺沢、孔最、列欠、経渠、太淵、魚際、少商」(手の太陰肺経)から始まり、三六〇個を越える数を覚えなければならない。こうやって本来の漢字で書いてみると、こんな勉強も案外面白いかもしれないと思うのだが、これをカナだけで読まされたらどうか?そんな風に勉強していたのである。
 あるときある点字図書館で、親しくなった職員から、「漢方の本ができてきたんですよ。ラベルを貼りたいのですが、ケイケツのケイは経でしょうが、ケツという字はどんな字か見当が付かないのです。」と言われた。私は「穴」と答えられなかった。このような会話が、何時でも何処ででも繰り広げられているのである。
 このようにして〈漢字〉を知っているか知らないでいるかが、人(健常者)と人(視覚障害者)との間の隙間を広げているのである。私の場合はそうであった。

  A 意識

 本会の活動を続けていて、何回か人の前で、〈漢点字〉のお話をさせていただいた。このような機会をお与え下さった皆様には、厚く謝意を表したい。
 ある会の後、お聞き下さった方々の感想が届けられた。好意的に受け止めて下さる方が多かったのだが、中に「リテラシーが違うのか、(岡田の)勝手な言い分が目立って、好感が持てなかった。」というものと、「興味深く聞いたが、異文化の視覚障害者を理解するのは難しかった。」というものがあった。前者の「リテラシー」というのは、後者の「文化」と同義なのかもしれないと理解して、実に面白い、正直な反応だと感心した。どうやらこの社会では、世の福祉の理念、「視覚障害者は目が見えないだけ、聴覚障害者は耳が聞こえないだけ、一個の人格としては健常者と何の変わるところはない」という捉え方は、あまり為されていないように見える。むしろ個人主義の極限か、グローバリゼーションの進行に伴う社会格差を享受してか、そもそも人それぞれ違う、まして健常者と障害者は別物だとする捉え方が一般である姿が見えて来た。
 今年初めに漢点字使用者の間で、昨年暮れに発行された、日本漢点字協会の機関誌「新星通信」に掲載された、私の「点字の漢字は〈漢点字〉」という拙稿が話題になった。その焦点は何かと言えば、もう一つの「点字の漢字」と自称している「六点漢字」について、「読めないものは文字ではない」と私が書いたことへの憤懣のようであった。
 私は「〈漢点字〉は触読を目的に川上先生が考え出された点字の漢字体系だが、六点漢字は、触読には適さないものだ。」と書いた(本誌『うか』六三号、二〇〇七年八月)ことが、〈漢点字〉と「六点漢字」の両者を使用しておられる方々の批判を浴びたのである。川上先生は生前から〈漢点字〉を、ブライユの触読文字開発の延長線上に位置づけておられて、いかに触読に適った、しかも〈漢字〉の構成を反映した体系を構築するかに苦心されて来られた。そして「点字の漢字と呼べるのは、〈漢点字〉だけ」という確信を持たれるに至った。私は本会の活動を通して、それを私なりに検証して来た積もりで、今回の主張となった。
 なぜにあのような批判を、漢点字使用者の諸君から受けなければならなかったのか、今も理解に苦しんでいる。ただ言えるのは、あのような指摘、「六点漢字も触読できる」と主張する彼らは、「六点漢字」も使っている人たちなのであって、〈漢点字〉も、彼らにとっては「六点漢字」を使用する程度にしか使用していないらしいと言えることである。そうであれば確かに、〈漢点字〉を使うか、「六点漢字」を使うかは、「好みの範疇」だと言われてもおかしくはない。が彼らは、これまで私と本会の会員が行ってきた活動には関心がないという。
 本会の活動は一九九六年に始まった。先ず手掛けたのが、『漢字源』(藤堂明保編、学習研究社)の製作であった。横浜国立大学教授・村田忠禧先生のご尽力と、学習研究社様のご理解によって、ソースデータをご提供いただいて製作した。そのために最も力と時間のかかる入力と校正という工程を免れることができた。全九〇巻という大部を、大変な短期間で完成させることができたのは、このような事情によるとともに、何と言っても木下さんを中心とした、会員挙げての協力体制の力が為した成果である。
 その後も本会では、数々の漢点字訳書を送り出した。が今回の批判者諸君は、このような本会の活動には関心がないという。彼らは関心がなくとも、私どもは〈漢点字〉でなければ触読文字で表された書物とは言えないものを、今後も作り続ける積もりである。
 現在東京漢点字羽化の会では『日本語大博物館』(紀田順一郎著、筑摩文庫)の漢点字訳に着手しようとしている。横浜漢点字羽化の会では、既にご紹介しているように、『常用字解』(白川静編、平凡社)の完成を目指して編集作業が急ピッチに進められている。
 もう一つ、辞書と単行本以外の活動からの成果としては、私と木村多恵子さんのために、放送大学の印刷教材の作成が挙げられる。我が国の古典、記・紀・万葉、王朝文学、平家物語等中世・語り物文学が、手の届かないものから、ぐっと身近なものに変わった。このような経験は正しく〈漢点字〉のお陰で実現したものである。
 ノーマライゼーションという理念がある。社会福祉の分野では、社会に暮らす人々全てを社会の構成員と受け入れて、皆が権利を認め合える社会を作ることを言うという。障害者や外国人や、その他差別の対照となって来た人々を、社会の構成員の一人として受け入れられる社会に、社会自体を変えて行こうというのである。
 しかしここに見たように、同国人である障害者を「文化が違う」と見たり、「あなたには関心はないが当方の言うことを認めなさい」と言ったりする。理念とは現実ではないから理念なのだという真実を、今回は思い知った思いであった。
                               
 
* 次回からは、『常用字解』を引用しつつ考えて行きます。

トップページへ