「うか」096 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 わたしが見たことの無いもの、「想像の中でしか描き出せないもの」と、現実に触って見られるものや、本当に知っていることとを、単純に結びつけて「知っている」と錯覚することがよくある。このことは、わたしの想像力の乏しさだけではないと思うけれど、その落差の相違は、わたしが考えられないほど大きいに違いない。だからと言って、最初から諦めて「想像力をめぐらす楽しさ」を止める気はない。
 なぜならそれはわたしにとって豊かな遊びだからである。
 そして、ふとした折りに、あるキーワード、あるいはほんの小さなきっかけから、自分が思い描いていた、幾つかの共通項を見つけ、突然自分の心に響いてきて、無性にうれしくなる。とは言え、それはごく日常の身の周りのありふれたことである。

 7、8年ほど前の6月、友人に誘われて、「視覚障害者のための手で見(み)る博物館」へ行った。
 最初に見せていただいたのは「太陽系惑星」の模型である。太陽を中心に据え、太陽から水星まで紐でつなぎ、水星の大きさはビー玉よりずっと小さい丸い玉であった。次に太陽から金星まで紐でつなぎ、水星と金星の距離感が分かるように、水星と金星のあいだも紐でつなげてあった。このようにして、太陽から地球、金星と地球。太陽から火星、地球と火星とを結んであった。「水、金、地、火、木、土、天、海、冥」と、一つ一つの大きさも当然異なる、実際の星々の何分の1に当たるかは覚えていないけれど、縮尺された模型を先生がお作りになったという。太陽の大きさは、子供のころの運動会で使った玉転がしの玉よりわたしには大きく思えた。先生は、この太陽の大きさにまで膨らませるのに、足踏みの空気入れで二日間もかかったと言われた。
 もう一つ印象的なものは、江戸時代の「キリスト教禁制」を徹底するために用いられた銅板の「踏み絵」であった。彫りの減ったところまで分かった。何の心の痛みも無く踏んだ人、迷いに迷って踏んだ人。その迷い方からキリスト教徒と見破られた人たちのことを思った。そして、わたし自身だったらどうだったのか、など考えさせられた。今この時点なら踏んで見られる。それでも躊躇した。
 この初めての体験は、わたしをすっかり魅了させた。ただこのときはわたしを含めて22人、恐らくガイドヘルパーもいたので全体の半分の人が視覚障害者だったと思う。それでもこういうものを実際に触るには人数が多すぎた。
 そして、昨年の11月、最初に誘ってくれた友人が、「今度は個人で行きましょう」と言ってくださり、3人で出かけて行った。
 コウモリやムササビ、白鳥、ライオン、オオカミなどの剥製を触っていた。「コウモリの指のあいだに幕が張り、それが翼になり、親指1本だけでしっかりと木に捕まっていられるのです」と先生は教えてくださった。
 この剥製を触っている中で、ライオンの背中の毛並みの方向が、頭に近い方は頭の方へ、尻尾に近いところは尻尾の方へ流れていたのがおもしろかった。これは背中の中心に、人間の頭でいえば、つむじのようなところがあって、そこから尻尾の方向と、頭の方向へと流れが分かれているのだ。
 ツキノワグマの毛皮も触った。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に出て来る小十郎(こじゅうろう)の、仲間でもあり、同士でもあった、一番大きいツキノワグマは、こんな風な毛皮を着けているのかと思った。
 次に先生が「多惠子さん、これはエゾ鹿の毛皮です」と見事に分厚い毛皮を持たせてくださった。密生した毛の量と長さに驚いた。しかもつややかでなめらかだ。
 「これはウタラ?イララ?」と小さく言ってしまった。
 このころ、偶然『鹿の谷のウタラとイララ』という本を読んでいた。[松居友(まついとも)作、本田哲也(てつや)画、小峰書房]
 この本は、エゾ鹿の兄弟が、北海道の大自然、千歳の森を舞台に、著者のイマジネーションの世界を作り出したものである。
 エゾ鹿の兄弟の兄ウタラと、妹のイララの物語は、突然いなくなってしまった妹のイララを探し求めて、兄のウタラが、生(この世)と、死(あの世)のあいだを行きつ戻りつしながら、やっと妹のイララと再会し、再び生(この世)に戻ってくるという、大自然と、自分とのたたかいの物語である。
 ウタラとイララは、早春の美しさに誘われて小川のほとりへ遊びに行く。そこで、金色にかがやく立派な雄のエゾ鹿に出会う。兄弟はその牡鹿は、自分たちがまだ会ったことのない父親だと直感する。
 ウタラとイララが母の胎内にいたとき、大きな雪崩が鹿の谷を襲った。そのとき、父のクンネは、仲間を安全な場所へ導き、なおも森の古老のシマフクロウを助けるために危険な森へと戻って、シマフクロウを救い出し、自分はその雪崩に打たれて死んだのだと、母のシロトクから聞いていた。
 魅力的な光に包まれた牡鹿に引きつけられて、ウタラとイララは、喜んで父の後について行った。かがやく光と不思議な笛のような響きは、二人を森の奥へ奥へと誘い、ふとその響きが消えたとき、ウタラは急に不安になって振り向くと、直ぐ後ろについて来ていると思い込んでいたイララがいないことに気づく。
 ここからウタラの死闘が始まる。

 わたしは、若いエゾ鹿の颯爽と走る姿や、一組の恋人たちの優しく初々しい様子や、婦夫(めおと)となったシロトクとクンネ、そして、子供から、まだ大人になりきる前の頑張り屋のウタラを想像した。

 動物の毛皮を着ることは知っているが、アラスカや南極など、本当に寒い地域で暮らす人はともかく、こういうものを実際に身につけることに抵抗を感じていたわたしであるが、寒さよけとは違った意味でこの毛皮には特別な親しさを感じた。わたしはこのエゾ鹿の毛皮をマントのように羽織らせていただいた。このままオーバーとして使えるほどの大きさで、わたしの背も、肩も、腕もたっぷり覆ってくれた。「素敵、でもワイルドな感じになった」と一緒に行った友人が興味しんしんで見ていた。
 毛並みに添って撫でながら「ウタラ、よく頑張ったねえ」と心の中で静かにねぎらった。
 日頃は動物にさほど愛情を持たないわたしであるが、こんなことからエゾ鹿には興味が沸き、ラジオから流れるニュースで、「エゾ鹿」という言葉が耳に入り、気をつけて聞いていると、エゾ鹿が増えすぎて困っているという、北海道の話題に、残念さと危惧を感じたのは我ながら不思議だ。

 * 文中の博物館について_
NPO 法人「視覚障害者のための手で見る博物館」
館長、桜井政太郎
副館長 川俣わかな
盛岡市東中野字五輪7‐1
                                   2013年10月11日 (金)
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