「うか」095 連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

  ある日わたしは「10数人ほど集まる我が家のホームパーティーにいらっしゃいませんか?」とお誘いをいただき、どきどきしながら参加させていただいた。
  このパーティーの特徴は、出席者一人ひとり全員が、日頃ライフワークにしていること、あるいは個人的に心にかけていること、研究しているテーマなどについて、おおよそ一人15分から20分の持ち時間内で披露なさるのだという。
  このパーティーにお誘いくださった方(わたしは「先生」とお呼びしている)が、「あなたは漢点字を世に広めようとしているのでしょう。そのお話をしてはいかがですか?」と言ってくださった。
  ここに集まる方々は晴眼者ばかりで、普段点字とは関わりなく過ごしていらっしゃる。多分、日本語であるから、点字にも当然漢字があることを前提にして、点字に漢字があるかないかなどお考えになったこともないであろう。もちろん、視覚障害者にとって点字が必要なことはご存知のはずだ。この機会を有効に使わせていただき、「漢点字」という言葉を覚えていただいて、漢字が無いことの不便さをご理解いただきたいと思った。
  当日、ご夫妻はわたしが参加することを「秘密」にし、皆様を驚かせた。

  先生に連れられて広いお部屋に入り、皆様に紹介され、間もなくパーティーははじまった。
  アットホームな雰囲気の中にもピリっとした緊張感が漂うのは、この先生の、ことに当たる厳しさが作り出しているようだ。
  先生手作りのプログラムが配られ、初めて発表順番を知るようだった。
  このパーティーの中心メンバーは、S先生が開いていらっしゃるオルガン教室のみなさまである。先生は、「お弟子さん」とは言われず、「オルガンの仲間」とおっしゃっている。この日も、日頃の練習と研究成果を発表なさるために開かれているようだ。従って、先生はみなさまがリラックスして発表しやすいようにとご配慮なされてのことか、先生ご自身が一番最初にお話しと演奏をなさった。

  “PASTORALE”(パストラーレ) ヘ長調 BWV590
j.s.BACH(1685〜1750)
使用オルガン Clough & Warren (クラフ & ウォーレン)
1、ヘ長調 (足鍵盤入り)
2、ハ長調
3、ハ短調
4、ヘ長調
  第1曲は、奥様が足鍵盤を弾かれ、こんな風にご夫妻で演奏なされるのを聞いて、すなおに羨ましいと思った。お二人ともお幸せだろう。
2曲目の落ち着いた穏やかさ、明るい雰囲気、
3曲目の柔らかい音、リードオルガンのなんと優しい音だろう。なんとなく秋を思わせた。
最後の曲の心地よいテンポ

  2番目に弾かれた方は、先生と同じオルガンを使われたが、曲によるのか、少しおとなしい音に思えた。性格の穏やかさも演奏ぶりに出るのだろうか?バッハの平均率クラヴーア曲集と、ラインハルトの練習曲集を聞かせてくださった。よくまあ、こんな難しい曲を「練習曲」というものだ。習得技能に合わせた各種の曲が作曲されていることは、わたしにも分かるけれど?すばらしい。

  次に、宮沢賢治の童話「ポラーノの広場」の朗読と、賢治さんが讃美歌に歌詞を付けたものを、勿論オルガンを弾きながら歌われた。この方は、Perry(ペリー)というオルガンをお使いになった。明るくてそれなのに重厚な音に思えた。

  次は、グリークの楽劇「ペールゲント」より、「オーゼの死」。わたしはこの曲、とても悲しいけれど大好きな曲だ。

  次は、「アリアと、30の、ゴルトベルク変奏曲」。バッハの曲をゴルトベルクという女性が編曲したものだと説明してくださった。

  次は、趣向を変えて、古い民話を、その土地の言葉そのままに語って下さった。わたしは一所懸命聞こうと、身を乗り出していた。それなのに小さな声、まるで囁くように語る内容を部分的にしか聞き取ることができなかった。それに、語る言葉の意味も「なまりはくにの手形」たっぷりで、物の名前も解説を入れていただかないと分からないことばかりであった。これはわたしの知識不足なのでどうにもならない。けれども不思議なことに細部の意味は分からなくても、全体として語りの雰囲気から、悲しさも怖さも、滑稽味も伝わってくるのである。
  夜寒の囲炉裏端で、家族揃って、食事の後、大人は藁や竹を使って草履や籠を作ったり、機織りや繕い物など、夜なべ仕事をしながら、小さな子供はおばばさまの膝に寄りかかって、昔からの言い伝えを、この優しいおばばさまから聞く。そのうち眠気を誘われた子供は、おばばさまに共寝をしてもらい、ぬくとい懐に包まれて寝入るのだろう。

  リードオルガンで、セザール・フランク(1822〜1890)の『天使の糧』を聞かせてくださった方は、伴奏の低音部に天使が歩いているかのような足音を見つけました、とおっしゃった。多分最初に楽譜をご覧になったときの印象であろう。「軽やかな音は暖かで心地よいのです。」と言う。その方の言い回しぶりから、わたしはその天使の足音とは、ご主人のことだというニュアンスを受け取れた。
  わたしはこの曲を、ソプラノ、アルト、テノール、ストリングスその他幾通りかの楽器編成で聞いている。けれども天使の足音を聞いただろうか?と思っていた。
  その方の解説によると、『天使の糧』の原曲は、1860年作曲の『3声ミサ曲、作品12』の中の1曲で、これを1862年にフランク自身が改めて編曲したものだという。わたしはミサ曲としては聞いたことがなかった。
  柔らかい音色(ねいろ)のリードオルガンが流れ出すと、本当に天使の足音が聞こえてきた。「ああ、軽やかな音」。リズムが一定で(音楽なのだから当然なのだけれど)、じつに楽しく優しい。これまで同じ曲を聴きながら、まったくことなる印象を受けるのはなぜだろう?編曲法にもよるのだろうが、楽器の特性は大きな理由であろう。「ああ、本当に天使がエデンの園を幸せ一杯に包まれながら歩いている」と思えた。リードオルガンそのものの自然な柔らかい音が心をゆったりとさせてくれた。わたしはもっと聞き続けていたいと思った。

  次はわたしの番になった。
  視覚障害者が使う文字は点字であることはみなさまご存知であったが、漢字がないことをお話すると不思議がられた。じつは、点字の漢字、漢点字は、ざっと半世紀も前から、墨字の偏と旁、冠、足、構えなどいろいろなパーツを巧みに点の組み合わせに置き換えて漢点字が作られていることを説明した。そして、自分が漢字の世界に入って、満州の広さを表す「広い原野」を「宏い原野」とはじめて読んだとき、単純な広さでなく、途方もなく広く、しかも、読んでいた本の内容が、暗く、重い課題を扱っていたこともあって、なおさら果てしもなく頼りない不安をかきたてる茫漠とした広がりを想像できた、とお話した。
  実際の漢点字の説明は簡単に済ませて、わたしが初めて点字を教えていただいたあの日の感激を綴った、「羽化93号」(2012年8月発行)の「東京漢点字羽化の会例会報告とわたくしごと」の恩師中村愛先生について書いたところを、漢点字の生原稿で読ませていただいた。
  点字を知らないみなさまは、わたしたち子供たちが中村先生から点字の手ほどきを受けたそのままに、わたしが読む文章にそってご自分の膝に点字を書いていられた。その証拠に、わたしがうっかり「右」と「左」を間違えて読んだとき、一斉に正しく訂正されたのである。このことひとつで、この日そこにいらっしゃるみなさまの誠実さ、素直さ、優しさ、熱心さに感動した。なぜなら漢字仮名交じりの文章は、自分が書いたものでも、正直に言えば漢字無しのものを読むよりかなり速度が落ちるので、聞いていらっしゃるみなさまは、さぞやじれったいだろうと心配していたからである。
  続いて漢点字の表と、50音表を見ていただいて、簡単な文字探しの方法を説明すると、みなさま楽しんで「仮名の〈き〉と〈し〉を書いて漢字符号を付ければ〈村〉になるのね」と言って、それぞれ漢点字探しをしてくださった。
(注、仮名の〈き〉に、一マス漢字符号を付けると、〈木〉になる。仮名の〈し〉に一マス漢字符号を付けると〈市〉になる。が、ここでは仮名の〈し〉を二マス目に使う、二マス漢字の〈寸〉のうちの、一マス目の点を省略して、二マス目の仮名の〈し〉を生かして〈寸〉と見立てて、「木偏プラス寸」、〈きし〉に二マス漢字符号を付ければ、「村」になる。)
  規定の持ち時間の2倍は過ぎてしまったのに、みなさまは本当に根気よくおつきあいくださった。

  最後に登場されたのは、趣味で陶芸をなさる方で、地元の新聞社から受賞された壷を持参された。みなさまはテーブルに置かれたそのたたずまいから感心され、「まあ」「いい色」「いい形」とお褒めになっていた。みなさまが一通り感想を述べるのを聞いた後、勇気を出して「触らせていただいてもいいですか?」とお聞きした。「ああ、どうぞ」と言ってくださったので、まずテーブルに置かれたままの状態でそっと触った。なめらかさと釉薬による、少しざらついた感じの違いを楽しんだ。全体の丸みと、手に触れる肌合いが柔らかい。「このざらついたところは何色ですか?」「鉄色、少し赤みのある落ち着いた色です」と何人もの人が説明してくださる。こういうものの正式な言い方はまったく分からないけれど「長口細の壷(ながくちぼそのつぼ)」であった。全体の高さが24、5センチ?胴の丸みの一番太いところは20センチ?口から肩まで(細口の長さ)が15センチ?この数字はわたしの目測で、もしかしたらこの数値は作陶家から「でたらめだ、その寸法ではバランスが違う」と言われるかもしれないけれど、わたしの覚えている手の感触では本当にバランスのよい、わたしの大好きな大きさだった。堪(こら)えきれなくなって、わたしは膝に載せて楽しみ、胸に抱えていとおしみ、さらに、壷にほおずりをしてしまった。わたしがこの壷を胸に抱えたとたん、作家が「あげない!」と一声。全員が大笑いをなさった。わたしはそんなにも欲しそうな顔をしていたのだろうか?いとおしい、と感じたのは確かだった。両掌(りょうてのひら)に包み込んだ、ほどよい丸みと、長い口のバランス、なにより全体の大きさが気に入って、今でも忘れられない。
  壷の作者は釉薬の話、土と金属、たとえば水銀と硫黄の混合率をどのくらいにするか、釉薬に入れる銅や鉄をどのくらいにするか、科学者らしいお話をしてくださった。
  細い口を作るには、桜材の小手で、壷の細口の中の土をくり抜くようにするのだけれど、この行程に入る頃合いが難しいともおっしゃっていた。
  この日のお仲間の中にも陶芸をなさる方がいらして、話は、さらに盛り上がって、火の温度、窯出しのとき、色はどうかと、期待と不安も話題になっていた。
  焼き上がった陶器を窯から出したとき、はじめて空気に触れて、陶器の地肌がひび割れをおこすことを貫入(かんにゅう)と言う。ひび割れを起こすとき、ぴーん、ぴーんと美しい音がする。温度や土の質にもよるが、ときには金属音のように高い音が出ることもある。この貫入の音の美しさ、などなど、尽きない楽しみを与えてくださった。

  このコンサートのフィナーレがまた、なんとすばらしいことか!6台の異なる種類のリードオルガンの合奏であった。
クララ・シューマン(1819〜1896)作曲の「前奏曲とフーガ」 OP. 16 NO. 3であった。
  お二人くらいが主旋律を弾いて、そのほか各パートが奏でていた。途中から、ボリュームが加わり、あれ?と思っていたら、最初は指揮をとっていらした先生がベースに加わり、重厚さが増したのだった。
  これだけの楽器が同時に音を出していても、耳に負担がかからない。音楽なのだからハーモニーとして構成されていて、自然なのかもしれないけれど、全体の音の柔らかさと暖かさにあふれ、幸福感に満たされていた。涙がにじんで、もう少しでこぼしそうになってしまった。
  わたしが一番大好きな、この先生の柔らかく優しい音色(ねいろ)をみなさまも自然に受け継ごうとしていらっしゃるのだろう。

  とうとう今日、用意されたプログラムは終了した。さてさてこれも今日のもう一つの楽しみがはじまった。各自が持ち寄った食べ物や飲み物が、テーブル一杯に並べられ、並びきれないものは次の間に置かれ、絶え間なく運ばれてきた。わたしはお箸とコップと取り皿を手元に置いているだけで、乾杯のビールからはじまり、サラダ、煮物、具沢山の、「ごじる」と次々にいただいた。卵とお肉とお野菜が入った大きな厚焼き卵のようにカットされた「松風」というのはとくに気にいり、すすめられるままにおかわりまでしてしまった。飲み物はフランスとドイツのワイン、地元の日本酒と贅沢に用意されていた。期待のデザートは、種なしブドー、ブルーベリー、ケーキと、自分でも驚くほどよくいただいた。豊かな会話を聞かせていただいているのもさらなる贅沢であった。
  わたしにとってはじめての忘れがたいホームパーティー体験である。
  この日の関係者の皆様、すてきなときを与えてくださいましてありがとうございました。

  〔訂正とお詫び。羽化93号(2012年8月発行)の、木村の文中で、点字毎日新聞が90年続いている、と記すべきところを、70年と記してしまいました。とくに点字毎日新聞社とその関係者に深くお詫びいたします。〕
                                       2013年6月8日(土)
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