「うか」093  連載初回へ  トップページへ
             わたくしごと
                                   木村多恵子

 わたしが初めて点字を教えていただいたのは、6歳のときである。うららかな暖かい日差しがそこここに満ちあふれる、真昼に近い時間であった。
 何時も和服を召されている、わたしの母のような優しい先生・中村愛先生が、「今日はこれから楽しいこと、皆さんにとって大切なことを覚えましょうね。」と言われた。
 皆さんといっても3、4人の6、7歳の生徒である。
 「自分の右の手を前に出してごらんなさい。右の手はどっちかわかりますね」
 優しい先生の声の中に、いつになく張り詰めたものを感じて、わたしたちはしんとしていた。
 「右の手を開いて、自分の胸の左のお乳のあたりを触ってごらんなさい。なにかドキンドキンと震えているものが伝わってくるでしょう?それはね、心臓というものが働いている音なのです。心臓はね、あなたたちが元気に遊んでいるときも、ご飯を食べているときも、寝ているときも、勉強しているときも、こうして休まずにドキンドキンと音をたてて、ずうっと働いているのです。 こうやって働いているのは心臓だけではなくて、お腹の奥には大切なものが沢山しまってあって、それぞれいろいろなお仕事をして、みんなが食べたご飯から、元気になれるように、栄養が一杯入った血液を作っています。工場がいつも休み無く動いているように、みんなの身体の中でも、〈心臓さん働いて〉と頼まれなくても、わたしたちが元気に生きていかれるように、栄養や血液を、頭や手や足の先まで、送り出すために何時でも働いているのがこの心臓なのです。
 こういうすごい身体を作ってくださった方がいるのですよ。
 さあ、今度は点字のお話をしましょう。点字は六つの点でできていることを知っていますか?皆さんはお兄さんやお姉さんたち(実際には上級生の実名を言った)が、点字を書いているのを知っていますね。点字を書く道具を触らせてもらったことがありますか?点字板と定規と点筆と、点字を書く紙を使うことも知っていますね。今日皆さんは、その道具が無くても、点字を書けるように練習するのです。今練習しておけば、道具を貸していただけるかもしれませんから、貸していただけるように、点字を覚えておきましょう。」
 昭和23年の春のこととて、点字板はおろか、紙さえ不足で、点字板も定規も、アルミニウムの華奢な作りのもので、すぐに定規は曲がってしまうので、ちょっとでも乱暴な男の子になど簡単に貸せるものではない時代であった。
 「さあ、みんな今度は右の膝には右の手を、左の膝には左の手を置いてごらんなさい。ここからはちょっと難しいかな?膝の上を三つの場所に分けて考えるのです。右の膝を、膝小僧、 膝小僧は分かりますか?触るとくすぐったいところですね。その膝小僧に近いところと、お腹に近いところと、その間のところと、三つに分けるのです。
 もうちょっと分かるように言いましょうね。たとえば、同じ大きさの四角い箱を膝小僧に近いところに一つ、お腹に近いところに一つ、そして、その二つの箱の間に、もう一つの箱を置くのです。
 こうすると右の膝の上が三つに分けられましたね。
左の膝の上も同じように、頭の中で考えてごらんなさい。さあ、これで箱が全部で幾つになりましたか?」
 しっかりもののMちゃんが、「六つ」というと先生は「そうです六つですね」とうれしそうだった。
 「皆さんは定規を触ったことがありますか?細長い金属の板に、小さい窓のようなものが沢山横に並んでいますね。そのひとつひとつの窓に、今皆さんが頭の中で作った六つの箱を、右の膝に三つ、左の膝に三つ置いたように、この六つの箱を一つの窓の中に置いてあると思ってください。この一つの窓のことを〈ひとマス〉と言うのです。
 さあ、今度は右の手を出して、親指を隠すようにげんこつを作ってごらんなさい。親指はどれか分かりますか?そう、みんな上手に握っていますね。今度は人差し指だけ、一本のばしてごらんなさい。そうそう、できましたね。左の手は左の膝の上に置いたままでいいですよ。右も、左も、膝の上を三つに分けてあることは覚えていてくださいね。
 さあ、点字を書いてみましょう。右の手の人差し指で、右膝の膝小僧に近いところをちょんとつついてごらんなさい。そこが1の点です。今度は右の膝の真ん中に分けたところ、そうです、三つの箱の真ん中の箱を人差し指でつついてみましょう。これが2の点です。今度はお腹に近いところをつつきます。ここが3の点です。これで1の点、2の点、3の点ができました。
 次は左の膝も同じようにやってみましょう。人差し指は右の手を使います。膝小僧に近いところが4の点です。左の真ん中は5の点、左のお腹に近いところが6の点です。
 皆さん、1の点はどこですか?」
 わたしたちは一斉に「右膝の膝小僧に近いところ」と言った。
 「よくわかりましたね」と先生はうれしそうだ。
「この1の点だけを書くと、〈あいうえお〉の〈あ〉という点字になるのです。次は1の点と2の点を書いてみましょう。2の点はどこですか?」
 わたしたちは「右膝の真ん中!」と声をそろえて言う。
 「そう、あたりです。この1の点と2の点を、一つのマスに書くと、〈あいうえお〉の〈い〉になります。今、二つの文字を覚えましたね。二つ並べて書いてごらんなさい。1の点だけのと、1と2の点を並べるとどうなりますか?」
 「あ、い」とわたしたちははじけるように叫んだ。先生は本当に満足そうだった。
 「あ、い。わたしの名前はなかむら あいです。わたしの名前を皆さんは書けるようになってくださいましたね。でも、この〈あい〉はもっともっと大きな愛、神様の愛なのです。」
 わたしはこのとき、痺れるような、なんとも言えない、表現しようもない〈なにか〉が、全身を走り抜けるのを感じた。
 〈神様の愛?〉、わたしは5歳の10月から、このキリスト教の盲学校の寮生活をはじめていた。今まで神様とか、クリスマスとか、イエス様がお生まれになったうれしい日だとか言われても、何とも思わなかった。子供用の讃美歌を歌っても、感動などとはほど遠く、ただの言葉、意味を持たない単語が、わたしの周りで跳ね回っているだけだった。
 けれども、この点字を教えてくださったとき、心臓の働き、その鼓動がなんのためであるか、具体的に、子供に分かるように、生かされているという神秘を教えてくださったのだ。子供に向けて真剣にお話くださったのだ。「神様の愛はとても大きくて広いのです。」と言われたとき、間違いなくわたしは点字と神の愛とを具体的にわたしの心に受け留めることができた。
 本当の意味でのキリスト教入信は大人になってからであるが、その大人になって、最近の十数年、地元の小学校へ、区内の点訳ボランティアの方々と一緒に、点字についての簡単実習に行くようになった。そんなとき、生徒から、「木村さんはどうやって点字を覚えたのですか?」と聞かれることがある。その度にわたしは、この6歳の春の光景を瞬時に思い出す。あるとき、その思い出にうっかり呑み込まれ、涙ぐみそうになり慌てたことがある。

 この、中村愛先生は、今年、2012年、発刊70年記念を迎え、戦時中も1号も絶やさずに発行し続けている「点字毎日」の初代編集長、中村京太郎(1880〈明治13〉年3月25日生、1964〈昭和39〉年12月24日、84歳没)の奥様である。

 この具体的であり、かつ象徴的でもある「点字と神の愛」について教えてくださったのは、中村愛先生だけであり、しかもこの一回だけである。
 漢点字も無い当時、点字を教えていただいても、まだ「平仮名」と「片仮名」の区別もなかった。

 小さな子供のこととて、大人の事情は全然分からなかったが、愛先生は、常時わたしたちの学校にいらっしゃるのではなく、多分京太郎先生のご用事がおありのときに、お付き添いとしてご夫妻でいらしたのだと思う。一時期はかなり頻繁にお二人で、いらしていて、幸運にもわたしの低学年時期と重なったのであろう。
 わたしは愛先生のことを大好きで、京太郎先生のお声が聞こえれば、愛先生のことを探した。お着物の袂に触れているだけで幸せであった。その袂から母の匂いを感じていた。あるとき「愛先生はお母さんみたいです」と言ったら、「どんなところがですか?」と聞かれて、「何時も着物を着ていらっしゃるから」と、わたしは自分でももっと表面的だけでないことを言えればいいのに、と困ってしまった。「優しいところです」とだけしか言えない自分が恥ずかしかった。

 わたしたちは愛先生に、他にも大切なことを教えていただいた。
 たとえば、和室での丁寧なお辞儀の仕方や、洋室、あるいは外で立っているときのお辞儀の仕方や、お客様にお座布団をお出しするとき、座布団を正面に置くこと、縫い目が無いところが正面の真反対なので、そこをちゃんと探して、お客様が安心して座れるように用意しなさい。お客様が座布団の上に座って、縫い目が無いところがお尻のほうになるように置きなさい。そうすればお客様は自然に座布団の正面に座れること。また、自分がお客になったとき、出された座布団にきちんと座るお作法などである。
 今思い出すと、鋏を他の人にお渡しするとき、相手の方に危険な刃先を向けずに、尖った方を自分の手の中に包み込むようにしてお渡しするのですよ」、と言いながら、わたしの手には大きかった鋏を実際に持たせて教えてくださった。どれもこれも生活の基本動作である。
 もしかしたら、先生のお優しさに直接触れていられたのは、わたしの6、7歳までの短いときだったのかもしれない。お会いできなくなった訳も当然知らないので、しばらくのあいだ上級生に「愛先生いらっしゃらないのかなあ」と言って待ち焦がれていた。
 そのうち、わたしは転校し、先生にお会いできる機会はますます無くなってしまった。

 このご夫妻に最後にお目にかかったのは、わたしが高校1年の秋で、思いがけないところでお声をかけていただいた。子供のころから愛先生を母のように慕っていたそのままの、優しさ一杯の先生であった。何時の日かまたお会いできるだろうか、ふと不安がよぎって、涙が止まらなかった。感受性の鋭い先生は「また、どこかで会えますよ、元気でいらっしゃいね」と優しく背を撫でてくださった。「先生に点字と、神様の愛を教えていただきました。ありがとうございます」というと、「まあ、わたしが神様の愛を?」とてれていらした。このような大切な機会をいただけたことを本当に感謝している。
                                     2012年7月22日(日)
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