「うか」073 連載初回へ  トップページへ

  わたくしごと

                      木村多恵子

 「東京漢点字羽化の会」の皆様に「銀文字聖書の謎」(小塩節 新潮社)を入力していただいた。この本を読んでいると、当然ではあるが、感動させられることが多い。
 まず、何故この本をお願いしたかについてである。4世紀後半に、ドナウ河畔の小さな村に住む、ウルフィラという男が、たった一人で、数十年かけてギリシャ語の旧・新約聖書を、自分の国の言葉であるゴート語に訳出した(列王記上・下を除く)。
 それが6世紀には北イタリアのラヴェンナに運ばれ、テオドリクス大王の命令で、大々的に書写作業が行なわれた。何部か書写されたゴート語の聖書の写本は、テオドリクス大王の命で、当時はまだゴート人以外には文字を持たないゲルマン諸族に贈った。それは、染めてない羊皮紙に、普通の黒色の炭で書かれていたが、分厚い皮の表紙に宝石などを埋め込んだ豪華な装丁の聖書である。
 そのうえ、テオドリクス大王は、自分自身のために王位を表す朱色に染めた羊皮紙に金・銀泥で文字を記した聖書を一部だけつくらせた。新約聖書前半の四福音書のみの美しい特製本で、これが「銀文字聖書」である。
 ゲルマン諸族に贈られたものは、長く度重なる戦乱の中で、ことごとくといっていいほど失われてしまった。しかし、この「銀文字聖書」だけが散逸しながらも、戦乱の中をどうくぐり抜けてきたか、数奇な運命をたどりながら、1500年を経て、今スウェーデンの国宝になって、ウプサラ大学の、カロリーナ図書館に納められている。ウプサラ大学に納められているのは、元の336枚の、その半分強の187枚である。1970年にドイツのシュパイヤー大聖堂から最終ページが発見されている。従ってまだどこかの修道院か大聖堂から、一枚、また一枚と発見されるかもしれない。
 わたしが感動したのは残されたものからでも、古いゴート語の語彙や文法をほぼ完全に復元でき、訳出の方法まで知ることができるという。しかも、ゲルマン諸国は、6世紀以降、何百年かをかけて、ローマ・カトリックのキリスト教を取り入れてヨーロッパを形成してゆくのだが、信仰に関する基本的な言葉の多くを、ゴート語の聖書から決定的な影響を受けていることが明らかになりつつあるということである。
 ウルフィラは、「ゼウス」のことを「グズ」(ゴッド)という言葉を発見する。
 「神(グス)は、初めに天地を創造した」(旧約聖書・創世記冒頭)
 この「グズ」という語はゴート語では、「相談相手」という意味だという。呼びかけ、話しかけ、何事をも語り合える相手なのである。どちらか一方的なものでなく、双方向に話し合えるということである。
 また、「読む」と「朗読する」はウルフィラのゴート語では同じ一語で、“singuan”〔スイングワン〕で、ある。この言葉はやがて現代英語の“sing”〔スイング〕、ドイツ語の“singen”「歌う」になった。何を読み歌うか。それは聖書を朗唱することである。
 聖書のことをゴート語では“boka”〔ボカ〕といい、文字、書き物や書物などをさす言葉である。英語“book”〔ブッック〕やドイツ語の“Buch”〔ブーフ、本〕と同じ根っ子から来ている語で、ドイツ語の場合は、もとはブナの木をさす。
 西暦前2世紀の頃、アルプスを越えて、北イタリアに入った一部のゲルマン人がエトルリアの人々から、ルーネ文字を教えられ、北方に持ち帰って道しるべや呪文用に、その文字をブナの木の枝や棒に記した。
 ブナは英語で“beech”、ドイツ語では“Buche”と今でもいう。ブナに刻んだものが文字であり、書である。
 ブナの幹や枝に鋭い石や刃物の先でひっ掻くようにして文字を書く。ブナの木肌は、刻まれた傷をかなり長いあいだそのままにしておく性質があり、森の奥に至る小径のブナの幹にルーネ文字などで一種の道しるべを「掻き」記したらしい。
 グリム兄弟はゴート語の研究者とは聴いていたが、このウルフィラのことに繋がるとは思わなかった。グリムやフェロー、アンデルセンなどの本を読むと、「ルーネ文字」の不思議な文字を見つける登場人物が出てくるが、これもグリムたちが勝手に造り出したものではないことも納得した。
 ヨーロッパの歴史も全く分かっていないこと、読めば読むほど知らないことばかりである。
 ゴート語訳聖書から、沢山の言葉が、現代の英語、ドイツ語、フランス、イタリアなどの言語の元になっていると説明されると、全く語学を知らないわたしは、ただうなずくしかない。
 まだまだ全部読み切れていないし、理解のほども浅いので、これからゆっくり読んでゆきたい。
 皆様ありがとうございます。

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