「うか」069 連載初回へ  トップページへ

  わたくしごと

                      木村多恵子

 私事で、羽化の活動から暫くはずれていて済みませんでした。またお仲間に加えてください。
 前号の機刊誌「羽化・68号」の巻頭記事、「漢点字の散歩」(七)の冒頭で、岡田代表が、やはり「横浜羽化」から、視覚障害者向けに、「漢点字の魅力」を広めるために発刊している「横浜通信」の82号(2008年5月15日発行)の編集後記に、「素敵な詩を紹介したいと思います」の添え書きのみで、鈴木洋子さんが選んでくださった、寺山修司の詩をきっかけにして、代表らしく整然と 格調高く論を展開されている。
 それは寺山の果敢な活躍と、「言葉」に対する鋭い感性についてであり、その密度の濃さを正しく知るには、視覚障害者も、漢点字で読まねば本当のよさは理解できないと言うことである。また、書家の石川九楊氏が、文字には書く人の精神と肉体の健康状態が反映すると述べていること。などなどである。(ここでは、ごく大雑把に文意をとらえているので、どうか改めてもう一度68号=2008年6月15日発行の、この文章を読み直していただきたい。)
 わたしは自分の能力に応じて漢点字で読み書きするのが好きである。パソコンを使っても、元来耳が悪いことも手伝って、音声で聴くだけより、音声を消して、ピンディスプレイで、漢点字で読むことが多い。問題は、指で、一字一句追って行くには時間がかかることである。そして、書くことについても、最初、ローマ字変換をするより、漢点字をしっかり覚えるためにも、漢点字のパターンで入力するほうがよいと思っていた。もっと原始的に、いうなれば点字板で漢点字で書くことに努力をさえしていた。石川九楊氏の言を借用すれば、点字板で書いた漢点字は実に温かくて読みやすいし、書いた時の自分の体調の善し悪しが確実に現れる。しかし、これは現実には、いちいちこの漢点字でよいか心配し、確認しながら書いていたのでは、これもまた時間がかかり過ぎる。そうでなくても文章力のないわたしには、さらに文脈が乱れて、ますます無駄な時間ばかりかかってしまう。したがって、今ではローマ字変換だったり、直接漢点字のパターンで入力したりと、その割合が変わってきている。
 さて、問題は、わたしが漢点字をどう使っているかということではない。
 同じ一編の詩を読みながら、そこから何を読み取るかという、その能力と感性の違いである。岡田代表の前号の文章を見れば明らかなように、論理的であり、教育的であり、啓蒙である。
 それに対し、わたしはと言えば、この寺山修司の詩を読んで、単純に感動し、私情に流れ、ただポロポロと涙を流すばかりであった。

\2  「ダイヤモンド “Diamond”
          『寺山修司少女詩集』
木という字を一つ書きました
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました
淋`さび*Bしいという字をじっと見ていると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる」\\

 ここまでは胸がドキドキしながらも普通に単純に「そうかあ…」と納得しながら読んでいた。けれども、この詩人が一番言おうとしていること、そしてわたしの心を揺さぶったのは、最後の二行、

 「ほんとに愛しはじめたときにだけ
 淋しさが訪れるのです」

である。もちろん、最後の二行を引き出すために、一本の木を示し、二本目をならべて林を作り、そこへさんずいを加えて、そのさんずいを、詩人は、涙の滴と見立てている。このたたみ込んで行く、文字と言おうか、言葉の配置が、最後の二行を効果的に引き立てていることは間違いない。
 理屈はどうあれ、「ほんとに愛しはじめたときにだけ/ 淋しさが訪れるのです」の詩句が、今のわたしの、いえ、同じような哀しみを抱`いだ*Bいている人の思いを、詩人は先取りし、代弁してくれている。
 わたしはもう耐えられなくなった。 「ほんとうに愛しはじめたとき」、それは、「もうこの世では二度と再びその人と会えなくなったとき」、である。わたしは、この二本の木を、彼と私だと感じた。わたしにとってだけ大切な夫を送って、まだ一カ月も経たない時期に、この詩は大きな慰めになった。
 泣きに泣き、泣きに泣き、泣き続け、徐々に感謝へと変わっていった。
 人が、なぜ詩歌や小説を読み、音楽を聞き、絵画を見、美しい花花を愛するのかが、今よく分かったような気がする。自分で、哀しみや絶望、悼み、悩み、いや、時には溢れる喜びも含めて、つまり、プラス、マイナスの感情表現を紡ぎ出せない、わたしのようなものには、こうした、感性豊かな先人の創り出すものに感情移入し、自己解放し、慰めを得るのである。わたしの場合、喪失を慰めてくれたのは、最初のうちは美しい花花であった。詩も小説も音楽さえも積極的に向き合う気にはならなかった。最期の二ヶ月を我が家で看取り、送って以来一ヶ月以上ニュースも聴かなかった。沈黙の中、独りにならなければ、彼と居ることにはならなかったからである。花はこちらの悲しみに寄り添い邪魔をしない。花を手向けるとはこういうことなのだ。ここにも先人の智慧を感じた。
 やがて、友人の一人が一枚のCDを贈ってくれた。最初は音を小さく、小さくしてメロディーが自然に流れ込むようにし、唄われている詩に心惹かれるようになり、ボリュームを上げて聴くようになった。今はこの音楽に支えられている。(かなり横道に逸れたが!)
 編集責任者の鈴木洋子さんが、わたしの現状を知っていて、この寺山修司の詩を選んでくださったとの勝手な思いこみはしないつもりではあるが、今、今現在のわたしを慰めてくれるに相応しい詩を教えてくださったことに、感謝の電話をせずにはいられなかった。何回かの電話の後、お話ができ、感謝の思いは当然ながら、持ちきれない悲しみを一杯、一杯聴いていただいた。文学や音楽、あらゆる芸術の意味についてまで話が広がり、沢山の慰めを得ることができた。
 それにしても、彼との思い出は沢山あっても、これから新たに造り出すことはできないのだ。

    みんみんのほど良き遠さ夫と聴く

などという静かな落ち着きのあるささやきを心に口ずさんだ、丁度三年前は絶対に帰って来ないのだ。

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