「うか」075

追悼  安田 章 さん

                                         岡田 健嗣

 安田さん、大兄が本誌『うか』に〈酔夢亭〉の筆名で執筆して下さるようになって、どれだけ経ったのだろう。再会してからも5年は越えたはずだから、号数にして30号分は書いて下さったことになる。執筆ばかりでなく、製本と発送にも、大きな力になって下さった。
 大兄に初めて会ったのは40年近く前になる。明治学院大学のキャンパスだった。小生は盲学校を出て社会に適応できずに、モラトリアムを決め込んで明治学院に潜り込んだのだが、随分と新鮮な体験をさせてもらった。
 当時は、視覚障害者を受け入れる大学は少なかった。明治学院は、その数少ないうちの1校だった。学校は、小生が社会福祉学を専攻するものと思っていたようだが、なぜか経済学を選んでしまった。
 学校が始まって1月ほど経ったころだったか、小生はだんだん慣れて来て、サークルとやらを見聞しようという気になった。そうして大兄等に遇ったのだ。
 時を経て互いに五十路を越えたころ、本誌を見てくれた大兄からメールが届いた。何度かやり取りしたのだが、その内容はこうだ。(安)「貴殿は何で漢点字に血道を上げているのだ? そんなものは、やりたい人は放っておいてもやるに違いない。貴殿にはもっと別にやることがあるのではないか?」、(岡)「いやいやそうではないのだ。漢点字がここにある、と言っても現在の視覚障害者は、やろうとしない。」、(安)「そんなのは放っておけばいいんだ。」、(岡)「そうかもしれない。だが小生の過去を思うと、そうも言っておられないのだ。」、(安)「どういうことだ?」、(岡)「どういうことって?」、(安)「貴殿にとって漢点字が、それほど貴重なものとも思えないのだが…?」、(岡)「いや違うのだ。この漢点字を学んで、小生は初めて漢字の世界を知ったのだ。」、(安)「…。そうかな? そんなことないんじゃないかな?」、(岡)「そうなんだ。」、(安)「全く気付かなかった!だが当時(大学時代)、結構話しについて来ていたと思うが? 文盲でそんなことができるのだろうか?」。
 大兄は、大学時代の小生が文盲であったことに気付かなかった。小生は隠す積もりはなかったが、積極的に申し出ることもしなかったが、気付いていないとは思わなかった。また蒙を啓かれた思いがした。
 我が国の識字率は99.8%(?)という。だが視覚障害者の文盲(漢字を知らない)率は、ほぼ100%である。つまり今も100%隠し果せていることを意味する。文盲は隠せるのである。
 その後大兄は、東京漢点字羽化の会の設立に尽力して下さり、何かと世話役を買って出ても下さった。本誌にも執筆して下さり、発行の作業にも加わって下さった。
 現在身体障害者は、バリアフリーを盛んに標榜している。「社会のバリアをなくせ!」と言うのである。そして最後には、心のバリアもなくせ、と言う。だがよく聞いていると、心のバリアという語を口にするのは、福祉関係者の健常者ばかりである。障害者自ら社会に向かって、心のバリアをなくせとは言わない。いや恐らく言えないのだ。
 実は大兄等に教わったことで最も大きかったのは、「言葉の両義性」ということだった。言葉はどのようにでも使えるなどというのではない。発する者、聞く者、読む者の意とには関わらず、言葉はその様態を変容する。このバリアという語もそうだ。
 バリアという語はこの場合、社会の側の「障壁」という意味合いで使っている積もりらしい。だがもともとは自らを保護するための壁という意味もある。してみると、その側面から彼らの言うバリアを見ることもできるはずだ。もしそうであれば、バリアフリーが本当に実現してしまうと、困るのは障害者自身ということになりはしまいか? そして小生に見えるのは、社会制度上置かれている「文盲」というバリアは、社会参加を最も阻害している障壁であるのだが、しかも社会参加という厳しい現実から守ってくれている、最も頼もしい保護壁でもあるのだ。このようなバリアが最も強力に守っているのは、さてどういう人たちなのだろうか? 彼ら自身、このことには全く気付いていないように見えるが…。
 大兄等は文盲であった小生を、分け隔てなく受け入れてくれた。かなり乱暴なやりかたではあったが、本の読み方を教えてくれた。いや音訳を買って出てくれたりもした。そんな中から小生は、自分なりの本の選択法を会得したように思う。
 視覚障害者が読書をするというのは、言うまでもなく点訳者・音訳者の手で、新たに作られた本を読むことを言う。(「読む」? ここでは「読む」としておこう。)書店で購入したり図書館で借りたりすれば読めるものではない。読みたい本が既に作られていることもほとんどない。新たに作られなければならない。それを担って下さるのが点訳・音訳のボランティアである。本会の活動もその中に含まれる。当時大兄等は、そういうことまで買って出てくれた。そのようにして、小生のバリアを壊してくれたのだ。
 大兄よ、文盲は苦しい。だが大兄等のような心優しき力持ちは意外に少ない。もっと強力に彼のバリアを破壊しなければ、彼らが言うバリアフリーもノーマライゼーションも、一握りの特権階層を創出するだけに思えるのだが…。
 本当にありがとうございました。

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