「うか」075

追悼  高橋 幸子 さん

                                         岡田 健嗣

 ずっと待っていました。だが……

 高橋さんと初めてお目にかかったのは、横浜漢点字羽化の会を立ち上げるための講習会だった。1996年の1月31日だった。
 高橋さんは当初、お勤めをしながらのご参加だった。そのために定例会にもなかなかお出かけになれず、暫くは言葉を交わすこともなかった。しかし直ぐに、熱心に活動に取り組んで下さっていることが分かった。
 横浜漢点字羽化の会の活動は1996年に始まったが、次の1997年には、横浜国大の村田忠禧先生と横浜市議の大滝正雄先生のご尽力で、「漢字源」(藤堂明保編、学習研究社)の漢点字版・全90巻を完成させて、横浜市中央図書館に納入することができた。その後毎年、漢点字訳書を1、2タイトル納入している。
 視覚障害者の読書は、点訳や音訳のボランティア活動が支えている。点訳書や音訳書は、書店では購入できないし、希望する本が図書館にあるとは限らない。むしろないのが普通と言ってよい。本会の活動もボランティア活動として、漢点字書を製作するものである。
 発足後何年か経って、活動も滑らかに進むようになったころ、高橋さんと言葉を交わす機会が増えた。お酒がお好きなことも知った。当方も嫌いではないことから、年に何回かではあったが、お誘いするようになった。
 高橋さんは普段は余計なことをおっしゃらない方だった。お酒が進むとお口も緩んで、冗談も言われた。楽しいお酒だった。
 ある時、「岡田さんは何で、(漢点字の活動を)こんなに一所懸命やってるの?」と聞かれた。「高橋さんこそ…?」、「わたしは暇だからよ。ああそうか、岡田さんも暇なのね? ふふっ!」(そんなはずないでしょ…!)といたずらっぽく笑われた。普通なら目と目を合わせるところだが、私にはそれができない。
 こんなことも言われた。「岡田さんみたいな人が、あと何人かいればね、漢点字もぐっと広がるのにねえ!」こんなことは普段はおっしゃらない。だが漢点字の普及、視覚障害者の識字が遅々として進まないことに、常に心を痛めておられたのである。勿論私のような者が何人もいる必要はない。言葉を一般の水準で使えるよう、努力を惜しまない人が現れること、それだけだ。そうすれば否応なく漢点字が求められるのである。
 高橋さんは、本会の活動にご参加下さる前に、従来のカナ点字の点訳活動をなさっておられた。ところが何か物足りない。「カナ文字だけで分かるのかしら? しかもひらがなとカタカナの区別もない。」これは最も素朴な疑問だが、もう1つ、「こういう本を読みたいのかしら?」と、点訳に供される本への疑問も湧いた。何か毒のない、味の薄い本ばかりが取り上げられるのだ。「ああ、視覚障害者の人たちは、こういう本が好きなんだ」と思っている時に、本会の漢点字訳ボランティアの募集広告をご覧になった。
 さて入ってみると全く素人の集まりで、手際は悪いし、いったい何を説明しようとしているのかさえ分からない。だが読書に対する熱意だけは感じられる。そんなこんなで巻き込まれて、面白ささえ感じるようになってきてしまった、とおっしゃった。
 本会の活動が始まって直ぐに、高橋さんは活動の基本である「朝日歌壇・俳壇」の漢点字訳と、「横浜通信」の製作のグループにご参加下さった。そしてたちまちパソコンによる打ち込み、校正、編集、点字プリンタによる打ち出し、発送という、一連の工程の取りまとめをお引き受け下さった。
 漢点字書を製作するといっても、現在では点筆で1点1点手打ちするものではない。パソコンで普通の文書を普通に打ち込むのが作業の始まりである。打ち込まれた文書は、一旦プリントアウトして、原本と比較する。これが文字の間違いなどをチェックする校正作業である。校正は3名の目で行われる。
 ここまでは一般の文書を作成する作業と同様である。この後に、漢点字への変換と編集の作業があり、1冊の漢点字書のファイルが完成する。高橋さんはこの打ち込み・校正の作業を差配し、変換・編集の作業を一手にお引き受け下さったのである。
 このようにして諸書籍の漢点字訳の取りまとめを一手にお引き受け下さって、現在中央図書館に所蔵されている、何方にも手にしていただける漢点字書は、粗方高橋さんの手によって編集されたものである。図書館の所蔵書を含めて、主な漢点字訳書を挙げてみると、「論語」、「唐詩選 上・下」、「孔子伝」・「初期万葉論」(白川静)、「珠玉百歌仙」(塚本邦雄)、「近代日本語の思想 翻訳文体成立事情」(柳父章)、「百人一句」(高橋睦郎)、「微苦笑俳句コレクション」(江國滋)その他である。
 そして2003年から始まった漢点字講習会用のテキストの取りまとめ、その前年から私が受講した放送大学のテキスト(国文系)の取りまとめなど、ほぼ全ての取りまとめを担って下さった。
 このような取りまとめの作業から、如何に読み易い漢点字書を作るかのノウハウが、厚みを増していった。こうして高橋さんは、漢点字の活動の今後に、軌道を敷いて下さったのである。
 足かけ5年になろうか、白川静先生の「常用字解」を漢点字訳しようというプロジェクトに取り組むことになった。ここでも高橋さんが取りまとめをお引き受け下さって、これまでのノウハウに加えて、文字の字形の説明のために、川上泰一先生の考案になる字式≠取り入れることにし、その研究に取り組むことになった。昨年2008年度・中央図書館に、その前半を納入した。完成の間際まで、字式の表記を、高橋さんと私は膝詰めで検討したのである。
 私は学生時代には恩師と呼べる方に巡り会えなかった。不徳の故である。だが本会の活動を始めてからは、よい方がお集まり下さった。皆さん師と呼びたい方ばかりである。中でも高橋さんは、師であるばかりでなく、よい友でもあり、同志と呼ばせていただきたい方だった。高橋さんは、「常用字解」の後半を、ご自身の手で仕上げるお積もりだった。私も、ご回復を信じていた。

 有る程の菊抛げ入れよ棺の中
                    夏目漱石

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