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         追 悼   菅 野 良 之 様


  追悼、菅野良之様
                             岡田 健嗣

 この3月15日、東京漢点字羽化の会会長の、菅野良之様が急逝されました。私たちは一週前の3月の定例会で、お元気なお姿に接しておりました。私たち会員はこの報を、受け入れることができませんでした。会員間の通信が、暫く途絶えました。
 菅野さんは、本会発足当初から、会の主要メンバーとして、活動を担って下さいました。本会の活動は、パソコンを利用して漢点字書を製作することが主なものです。まずは会員間で小グループを作って、パソコンに入力し、それを校正するという作業を行います。菅野さんは、あまりパソコンはお得意でないご様子でしたが、積極的に取り組んで下さいました、とともに、会員のグループ分けや入力・校正の分担など、積極的に差配して下さいました。
 本会は、2005年の秋に、活動の趣旨にご賛同下さった皆様によって発足しました。活動の趣旨とは、パソコンを使って漢点字書を製作するというものです。勿論そこには、漢点字とはどういう文字か、視覚障害者の置かれている文字の現況はどうか、そこに漢点字を普及させるとはどういうことかといった、前提となる状況をご理解いただくことから始めたのでしたが、皆様、多少の戸惑いは感じておられるご様子でしたが、十分ご理解いただけたものと感じました。菅野さんも、暖かく受け止めて下さいました。
 菅野さんのお顔は、そのように始まった活動の中に、会員が集まるところには必ずありました。会では毎月一回の定例会と、同じく一回の漢点字の学習会を行っております。そこには何時も、菅野さんが少し早めにお出かけ下さって、機材や席の準備のために動いて下さるお姿がありました。また会の間、必ず何度かジョークを飛ばして、空気を和ませて下さいました。私は一度、そのジョークを受け損ねて、後から思えばもう一歩だったなあと悔やんだことを覚えております。何の話からか、英語の表現で、「どこどこへ行く」というとき、前置詞に"for"を使うが、よく覚えておかないといけませんね、といったお話しになりました。そのとき菅野さんがエピソードとして、「アメリカで飛行機の切符を買うとき、"to New York"と言ったら、切符が2枚出てきた」というお話しをなさいました。そのとき私は、うまく受け止められずに、「そういうこともありますか」と、無粋な応対をしてしまったのでした。後になって、せめて「"for New York"と言えば、4枚出たかもしれませんね!」くらいのことを言えていたらと悔やまれたのでした。
 このように菅野さんは、本会と、また会員の間に、なくてはならない空気や水のような、当然そこにおられなければならない存在だったのでした。これから私たちは、その不在に耐えて行かなければなりません。
 安らかにお休み下さい。
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 ご冥福をお祈りします。またお会いしたかったです。定例会の時は、車椅子で席につけるようにまわりの椅子を片付けて下さったり、忘年会では介助して下さり、すごくありがたく、絶対に忘れません。
                                 佐々木幸代



 定例会や学習会の会場予約など縁の下の力持ちのことから、学習会での事前の下調べや報告書の作成まで、さまざまなことに取り組んでくださりすっかり頼り切っておりました。大変お世話になりありがとうございました。「おやじギャグ」を仰った後のシャイな笑顔、ハーモニカの演奏、ジーンズをカッコよく着こなしていたことが思い起こされます。天国で奥様と仲良くお過ごしください。そして私たちの事を見守り、時には叱咤激励をお願いいたします。
                                 杉田ひろみ



    「駄洒落、そして笑顔」
 菅野さんのお得意の駄洒落と、その後の少年のような笑顔を忘れる事が出来ません。
 もうお会いできないのはとても寂しいです。
 今は奥様とご一緒にずっとあの笑顔でいらっしゃることでしょう。
 どうぞお安らかに。 合掌
                                 青島久美



 菅野様、あっけない旅立ちの訃報を伺い信じる事もできないほどに大変驚いております。
 菅野さんとは、東京学習会が始まった時からご参加頂き博士のような存在感を感じておりました。熟語を話される度に漢字が次々と出て来るのですがその時の淡々とした話し方が耳に残ります。
 無駄口は一切お話しされない方だと思っていると、こちらから問いかけると楽しい言葉がポツリポツリと返って来る存在感のある方でした。
 もうその語りも聞けないと思うと残念でなりません。
 もっとたくさん、菅野さんの人生観をユーモア一杯でお話を聞きたかったです。
 学習会には、ぜひ天国から助け舟を出して下さいませ。
 大変お世話になりまして有難うございました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。
                            (漢点字学習者) 風間幸子



    暖かい時間
 7年近く、駅から会場までの送り迎えをしていただきました。初日からいきなり迷子になり、タクシーで学習会に滑り込んだことを、まるで昨日のことのように思い出します。皆で菅野さんのハーモニカに合わせて歌ったこと、駅から会場までの道々でお話した楽しかったおしゃべり、どれも暖かな時間でした。
 ほんとうにありがとうございました。
                            (漢点字学習者) 竹井真紀子


 菅野さんのことは驚きました。
 あまり突然なので 言葉もありません。
 ご冥福をお祈りするばかりです。
                             秋野八重子



 菅野様
 あまりに急な訃報に、まだ信じられない思いです。
 古語辞典では最初から同じグループでしたが、精力的に入力なさるので校正が追い付かなかったのが思い出されます。
 いつもオヤジギャグで周りの皆さんを和ませてくださる、優しいお人柄が大好きでした。
 どうぞ安らかにお休みください。
                             森本純子



 菅野さん、東京羽化の会や学習会で、また新年会で、楽しいお話しをありがとう。学習会ではハーモニカも吹いてくださり、皆で歌も歌いました。
 28日に親戚の不幸があり、菅野さんと同年齢の、私の一年上の方ですので、二重にショックを受けています。何だか変な文章ですが、お許しください。
                             齋藤寿美子



 菅野さんへ
 余りに突然逝ってしまわれて、言葉もありません。
 羽化の会での真摯な取り組みは、本当に頭が下がりました。
 特に、学習会でのご活躍は、忘れられません。
 岡田さんの補足説明は? に対する回答は毎回楽しみでしたし、驚かされてもおりました。
 もうあの、はにかみの笑顔と逢えないと思うとさみしい限りです。
 心からご冥福をお祈りします。
 本当にありがとうございました。
                             関 正子



 菅野さん
 寡黙でいておもしろい冗談を言う菅野さん
 私は大好きでした。
 いつも早くから準備をしている姿が忘れられません。
                            伊藤



 羽化の会では、『萬葉集釋注』文庫版全10冊の漢点字訳を10年計画でとりくんでいますが、4回の校正に必要な人数を、横浜だけでは十分に集めることができません。年2回、東京漢点字羽化の会の例会にうかがい、第2・第3校正をお願いしています。
 菅野さんは、初回より毎回こころよくおひきうけくださり、2月の例会時にお会いしてお願いした『萬葉集釋注 六』の校正も、横浜に届いています。
 担当していただいた二九六四〜三〇〇八番(巻十二)の原本のページを静かに開いてみました。
 これまでのご協力とご厚情に深く感謝いたします。
 今後東京の例会にうかがうたびに、おやさしい笑顔を思い出します。
                          (横浜漢点字羽化の会) 吉田信子



    ハモニカ伴奏ありがとうございました。
 菅野良之様
 たった1週間前にはお話でき、何時ものようにお世話になりましたのに、3月15日に、娘様から、こんな驚きと悲しいお知らせをいただくとは思いもよりませんでした。
 そして次の4月の例会にはもうお会い出来ないとは!

 発足当初から率先していろいろ細かいことに気づいてなにくれとなくお世話くださいましてありがとうございました。

 あまりお話なさらない方かと最初は思っておりましたのに、ユウモアたっぷり、わたしたちを笑わせてくださいました。

 とくにわたしの楽しかったことは、漢点字の学習会のときに、テキストの一段落ついたところに、日本のうつくしい歌や童謡などの歌詞が挿入されており、学習中のホットタイムとして、その歌をみんなで歌いました。
 そのとき菅野さんはハモニカをご持参くださって、わたしたちが歌いいいようにハモニカで伴奏してくださいました。ホットする楽しいひとときでした。

 ご家族の中でもそのほか会社や、他のグループでも皆さまをゆったりさせる素敵なお方でしたでしょう。

 ほんとうに長い間、私たちの大事な「漢点字を広める」ためにご協力くださいましてありがとうございました。

 菅野さんはご自慢の娘さんと息子さんをおもちで幸せでした。
 ですから娘様も息子様も、そのほかのご遺族の皆様も、何時までもお体をお大切になさってお過ごしください。
 私は、菅野さんのハモニカの音色を何時までも覚えているでしょう。
 本当に長いことありがとうございました。
                             木村多恵子

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