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          追悼  河村 幸男 様
                   
     岡田 健嗣

 この7月25日、河村幸男様が、急逝されました。急性心筋梗塞によって、意識を回復されることはなかったとのことでした。
 河村様は私の古い友人のお一人でした。そして本会の活動開始当初から賛助会員としてご支援下さって、毎年欠かさず本誌にご芳名を掲載させていただいておりました。
 私はこの旧友の訃報を知り、半信半疑の状態でお通夜に参列させていただきました。読経・焼香と型通り済ませて、棺の傍らに立ったとき、初めて友の死に向き合っている現実に気づかされたのでした。
 御斎の席が設けられ、奥様の「お暑い中…」との労いのお言葉を頂戴した途端に、「恩人ですから」という、私自身思いもかけない言葉が口を突いて出ていたのでした。「恩人?」と、奥様は訝しまれましたが、「そうです、恩人です。」とお答えしたのでした。
 帰宅して、なぜ「恩人」という言葉が飛び出したのか思いを巡らせてみました。河村様は、そのように言われることを好まれないであろうことを思ったからです。しかしやはり私にとって「恩人」のお一人であることに違いないことを、確認したのでした。
 河村様と初めてお会いしたのは、40年以前のことになります。誠に古く長いお付き合いでした。今から思えばそのお付き合いから、私は二つの恩恵を得ていたのでした。
 一つは他でもありません。この3月16日に逝かれた思想家・吉本隆明氏の『言語にとって美とは何か』を読み上げて下さった方々の中のお一人だったのが、河村様でした。。本誌前々号で述べた通りこのことによって、盲学校の中で、また盲学校から社会へ出て、ますます自らの瞽言に悶々としていた私に、一つの手がかりが与えられたのでした。そこから現在の本会の活動まで、一続きに繋がっていると言っても過言ではありません。
 吉本氏の逝去の後、氏の本を読み返してみました。時枝誠記博士の言われる「詞」よりも「辞」が、三浦つとむ氏の言われる「客観的表現」よりも「主観的表現」が、品詞で言えば動詞よりも形容詞が、形容詞よりも副詞が、「指示表出性」に比べて「自己表出性」の割合が多い、などという文に当たると、誠に懐かしい思いがしたのでした。
 こんなことを語り合えていれば…、埒もないことです。
 もう一つの恩恵というのは、私の最も逆境にあったころ、河村様は側で、じっと見守っていて下さったのでした。助言をして下さるわけではなく、相談に乗ろうというのでもありません。しかしそのようにして下さったことが、むしろ私にとって大変よかったのでした。現在から見てそのころの私は、日常を見失っていました。そして時日を経るに連れて、日常を取り戻せたのでした。その時間を河村様は、私にプレゼントして下さった、そう言えるのでしょう。
 今回の訃報は、誠に突然でした。ここ暫くは言葉を交わす機会を得ずにおりました。
 痛恨であり、悔やまれてなりません。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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