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「うか」創刊15周年記念号特集

 本会機関誌『うか』は、今号が91号を数えます。隔月に発行して年6回、丸15年を経ました。滞ることなく続けて来られましたことは、誠に奇跡と言っても過言ではありません。ご執筆いただいております皆様、歴代の、編集にご尽力下さった皆様、また手作業で印刷・製本・発送に当たって下さっている会員の皆様、全ての皆様のお力が総合されて成り立って来た雑誌でございます。心より御礼申し上げます。
 今号は、15年を一つの区切りとして、記念号とさせていただきます。

                               
      岡田剛嗣


        常用字解プロジェクトに関わって
                                 吉田より子

[吉田さんは、埼玉県の嵐山町にお住まいです。現在《常用字解》の音訳の作業を進めております中で、特別の位置を占めておられます。このプロジェクトは、同書の漢点字訳のノウハウを生かして、多くの視覚障害者の読書の方法である音訳書にできないかという観点から、立ち上げたものです。吉田さんは触読は困難とのことで、漢点字へのコミットはなさらないようですが、現在多くの視覚障害者が同様の情況にあることを思えば、むしろふさわしい参加者と受け止めております。漢字の知識は持ちながら、漢字から遠ざけられている、そんな皆様の代表として、忌憚のないご意見をお聞かせいただけることを願ってやみません。]

 私は、弱視から全盲になって10年になります。文字の音訳に頼るようになって6、7年にはなるだろうか。この目で文字を見ることが出来ない。読めない、書けてもそれをこの目では見る事が、読む事が出来ない。好きな手紙も読み書きできない。
 流れるような見事な手書きのお手紙を目にするたびに、日本語って、やっぱりいいなー。きれいだなー。とうっとりしたものだ。私も、このように書けたらなー。と憧れたものでした。少しだけですが、お習字の手習いをした事があった。精神統一して一字一字、一字一句を書いていくひとときは良いものでした。見えなくなってきて、日常生活の不便、不自由を覚えながらの生活には、心身ともに疲れるものでした。特に、文字の読み書き、解読の出来ないという事には恐怖さえ覚えた。この世の中、当然のごとく、全てにおいての情報が、まずは、文字だ。言葉だ。文章だ。人生の半分を過ぎようとしている頃から、それが出来なくなってしまった。正直その頃の気持ちを振り返りたくない。一言では言えないし、身震いさえする。未練がましいかもしれないが、未だ見えたらなー書けたらなーとの思いがある。厄介です。
 私達にとって、『音訳』には本当に感謝です。音訳がなければ、誰かが読んでくれなければ生活がストップしてしまうくらいに、なくてはならないものです。ありがたい事に聴覚の方は無事なのです。今更ながら本当にありがたく思います。さて、その音訳ですが、聞いてるだけでは理解できない言葉が出てきます。同音異語は勿論、聞いてる途中から意味不明の言葉が気にかかり、後の内容がわからずじまいになることもしばしばだ。そんな折、このチームの一人の方に、私達が聞いてわかる漢和辞典のようなものがあるといいなー。とぼやいたのでした。そのぼやきも忘れた頃に、このプロジェクトの事を聞きました。思わず「それって、私も参加させてもらう事ができるのかしら?」「勿論。一緒に行きましょう」と。そして、一年たちました。
 最初は、白川静さんの『常用字解』?正直認識すらありませんでした。あれ?晴眼者使用の漢和辞典なるものの音訳版を想像してたのですが…。その思いはどこかに飛んでしまって、「ふうん、漢字をこんな風にして解読していく。なんか楽しいなー」と興味津々でした。日本語ならではの言葉にも関心のある私、漢字のつくり、元々の意味などなど、聞けば聞くほど、知れば知るほど、楽しいのです。日本人に生まれて日本人として生きている喜びを今更ながらに深く深く味わっています。そして、このプロジェクトに関わらせて頂いてることに、皆様のお仲間に入れて頂いている事に、心より感謝でいっぱいです。ありがとうございます。そして、これからも宜しく御願い致します。


            私と漢点字
                       竹井真紀子

[竹井さんは、東京で行っている漢点字の学習会にご参加してくださっている、視覚障害者の若い女性です。]

 「記念冊子に載せるので、漢点字とのことで、なにか原稿を書いてほしい。」
 いつものように漢点字の学習会に参加していた折り、そんな言葉をいただいた。
 ムムム、何を書けば良いのだろう。頭はパニック。
 自分の頭を整理するためにも、そもそもなぜ漢点字を習おうと思ったのか、習い始めてどう感じているのかを、まずはつらつら書いてみようと思った。

 数年前、ひょんなことから漢点字の勉強を始めることにした。きっかけは、とある雑誌の記事だった。
 その頃の私は、ちょうど職場でパソコンの要約筆記や速記の仕事を任されるようになり、とにかくパソコンの入力スピードをあげることが課題だった。どうしてもローマ字入力ではスピードに限界がある。しかも私は音声読み上げソフトが入っているパソコンを使用しているため、漢字の変換を行なうのに目の見える方よりも多少時間がかかってしまう。タイピングミスをすればなおさらである。
 もっと効率的に、もっと正確な漢字を入力する方法はないだろうか。
 要約筆記をやっているという人にも相談をしてみた。ローマ字入力ではまずスピード的には不向きだし、そもそも速記や要約筆記は数人で交代しながら行なうものだということを教えていただいた。しかし、職場では人件費のこともあり、チームを組むことは難しい。
 同時期、たまたま友人が会議などの録音物を起こす仕事に就いた。彼女から会議録を期限内で作成するには、特別な入力方法をマスターする必要があることを教えてもらった。いわゆる6点漢字を利用したひらがな入力(?)である。この入力方法をマスターすれば、タイピングミスがない限り、入力スピードは上がるのだそうだ。さっそく友人が通っていた学校に問い合わせの連絡を入れてみた。
 結果、マスターするにはストレートで1年は最低かかること、休日の講習はやっていないので、平日通わなくてはならないことが判明。もしテキストなどが手に入るならば、独学もできなくはないが難しい、ということも教えていただいた。
 テキストはちょっと手に入らなかったので、とりあえず6点漢字だけでも学習してみよう、その後のことはまた何かのきっかけで良いアイディアが浮かぶかもしれない、そう思い6点漢字のリストを取り寄せて勉強を始めてみた。結論、独学でマスターしようなんて甘い考えでした(笑)。
 結局、地道にローマ字入力で、タイピングミスをなくしていくことにし、すぐに変換できない漢字は辞書に登録しておくか、とりあえずひらがなにしておき、まずは相手に一つでも多くの情報を伝えられるように勤めることにした。その代わり、筆記終了後に、入力データを清書して渡すように心がけた。

 ある日。たまたま雑誌で漢点字の勉強会の記事をみつけた。場所は横浜だったが、月1であれば通えそうである。自分ひとりで学ぶのは難しかったが、何人かで学習するのであれば少しでも覚えられるかも知れない。さっそく問い合わせをしてみたところ、ナント!私が問い合わせたのは漢点字の学習会。とても驚き。漢点字に近づいたような遠のいたような複雑な気分だった。勘違いをお詫びして学習会への参加はあきらめることにしたのだが。それから1ヶ月ほどして。「今度東京でも学習会をすることにしたのですが、参加してみませんか?一応漢点字にはなるわけですが、こちらも楽しいと思うので一度遊びにこられませんか?」というメールをいただいた。正直びっくりもしたが、勘違いした私にもお誘いをいただけるなんてととても驚いた。とりあえずなにかのチャンス、東京なら近いので長い目で通えるかもしれない、そう思い少しずつ学習会に混ぜていただくようになった。
 ながながと書いてしまったが、これが私と漢点字との出会いである。

 参加してみると、みなさんとてもきさくな方で、人見知りな私でもすぐにお話できるようになった。参加してみてとてもうれしかったのは、点字のテキストとともに、レーズライターに漢字を書いていただけていること。私は小学校の頃、点字の教科書を使いつつ、ノートはほとんどレーズライターでとっていたので、レーズライターで漢字をみていると、ある種の懐かしさとともにとても安心感を覚えたのだ。漢点字の規則を覚えつつも、漢字の由来を聞いたり、漢字の形から由来を想像するのも楽しいと思う。
 たとえば、ウサギ(兔)という字は、下の部分がウサギのアシを模していること、黒という字は、屋根の上の煙突を模していて、横の線は煙突の中の煤らしいということ。
 三つ巴という言葉は知ってはいたが、あんなにもその図像が複雑な形をしていることなどは知らなかった。おかげさまでいろんな漢字の知識が増えた。また、今まで勘違いしていたことも新たに覚えなおすことができた。丁字路はその代表的な漢字だと思う。私は丁字路はアルファベットのTがなまった言い方なのだとずっと信じていたのだ。そのような勘違いは意外とたくさんあるようだ。また、日常パソコンで変換するおりに勘違いして変換していた漢字も多くあったようで、なんともお恥ずかしい話である。
 漢点字はまだまだすぐには読めないものばかりであるが、ときどきテキストの一部が読み取れたり、テキストに載せてある歌の歌詞が読み解けるととてもうれしい。
 友達の名前の漢字が出てきたり、漢点字独特の記号に気持ちがマッチするとそれもうれしい。なにより学習会でみなさんとお会いできるのがとてもうれしく思う。

 最後に。要約筆記の件はどうなったかというと。なんとかかんとか今もローマ字入力で行なっている。入力方法は結局変更できなかったが、漢点字の学習会に通っているおかげで、前にも増して漢字の変換に自信が持てるようになった。逆になんでもかんでも漢字にせずに、あえてひらがなで書く(見える人的には「基本この字はひらがなかカタカナだよね」という文字のことであるが)ことも入力仕分けることができるようになった気がする。小さなきっかけでもなにかにつながるなと、この学習会を通じて改めて感じている今日この頃です。


      羽化の会の活動に参加させていただいて
                       
東京漢点字羽化の会  佐々木幸代

[佐々木さんは東京の活動にご参加下さって、丁度2年になります。佐々木さんは文中にもありますように、両足に障害をお持ちです。普段の移動は、車椅子とご自身で運転される自動車を利用しておられます。本会の活動にご参加いただいて、私どもも大きなインパクトを受けております。昨年度図書館に納入した『寺山修司歌集』は、佐々木さんがまとめて下さいました。ポテンシャルに満ちた若い女性です。]

 東京漢点字羽化の会に初めて参加させていただいてから、約2年が経ちました。体が不自由で家にいることが多いため、家で自分のペースでできる「点訳」が出来るようになり、うれしく思っています。
 羽化の会に入る前に、点訳の通信講座を受講していました。そこで漢字を使用しない点字を習いました。でも、点字を読む課題で、ひらがなだけで書かれた文を読んでいて、地名や病名が出てきた時などに、「どんな漢字が使われているんだろう」と思う事が多かったです。「漢字を表す点字があるといいのに」と思いました。
 その後、点訳活動をしているグループに入りたく、車イスでも通えそうな点訳グループをインターネットで探し始めた時、日本漢点字協会のホームページを見つけ、漢点字を知りました。ホームページに掲載されていた、漢点字考案者の川上泰一氏の、漢点字の事が詳しく書かれた随筆を読んで、「漢点字の点訳が出来るようになりたい」と思うようになりました。そして羽化の会のホームページを見つけ、羽化の会に参加させていただけることになりました。最初の頃は、アクサングラーブの使い方や、マスあけのやり方などを覚えるのに時間がかかりました。点訳をしている中で少しずつ身についてきましたが、知らない事はたくさんあり、これからも身につけたいと思います。
 今まで読んだことのなかった短歌の歌集の点訳は面白かったです。現在やっている古語辞典では、読めない漢字がたくさんあることが身に沁みてわかり、漢字辞典を引くのに慣れ、読める漢字も増えました。
 これからも、長く点訳を続けられたらと思います。いろいろ至らない点がありますが、これからもよろしくお願い致します。


          羽化の会の活動に参加して
                       東京漢点字羽化の会  杉田ひろみ

[杉田さんは、東京で2005年に羽化の会を立ち上げた当初からの会員です。この秋で丸7年を数えます。それだけに活動には欠かせない方のお一人です。現在は、『岩波古語辞典』のまとめをお引き受け下さっておられます。]

 「うか」創刊15周年おめでとうございます。15年間、隔月の発行を一度も休むことなく続けられたとのこと、岡田さんをはじめ関係者各位の漢点字に対する熱い思いが伝わってきます。
 健康には自信があった私ですが、思いもよらず大病を患いました。幸い早期発見だったのと先生の適切な処置により元通りの体になりました。いただいた命を何かの形で恩返しできればと思っていた矢先、漢点字講習会の新聞記事を読み「これだ!」と思いました。いわゆる「ビビビ!」という感じです。引っ込み思案の性格で、知らない世界に足を踏み入れるのは勇気が要りましたが、きっと赤い糸で結ばれていたのですね。ドキドキしながら会場に向かったことが、ついこの間のことのように思い出されます。
 講習を終えて東京羽化の会の活動に参加するようになってから、早いもので6年が経ちました。最初のうちは入力規則の難しさに戸惑うことも多々ありましたが、いろいろなものを入力し経験を積むことにより今ではだいぶ慣れてきました。難漢字を字式で表わすことも新鮮でとても楽しいです。漢字の素晴らしさ、奥の深さを再認識するとともに、まだ漢字を知らない視覚障がい者の方にも是非お伝えできればと思っています。いろいろなものといえば、会に参加していなかったら手にすることはなかったであろう本と出会えることも楽しみの一つです。
 そしてもう一つ、岡田さんの博学と勉強熱心なお姿には本当に頭が下がります。何かに真剣に取り組むことの大切さを教えていただきました。
 会では現在「岩波古語辞典」に取り組んでいます。古語辞典を一語一句こんなにじっくり読み込んだことはありませんでしたが、日本語の変遷や見たこともない漢字に触れ、発見することがたくさんあります。今回初めてまとめ役を仰せつかりました。大役を果たせるのか不安ではありますが、皆さんのお力を支えに作り上げようと思っております。
 また、学習会ではレーズライターの作成を担当、テキストに沿って岡田さんと相談しながら文字を決めています。1枚最大8文字、教科書体の字体で下書きしたものをなぞり、木村さんに作っていただいたラベルを貼り、裏にコピー用紙を貼って完成です。受講者の方が喜んでくださることが何よりの励みとなっています。
 皆がそれぞれの役割を果たし、一つの目標に向かって協力し合える会の一員となることができ、以前よりも充実した日々を過ごせています。これからも漢点字の普及の一助になれるよう、微力ながら頑張ってまいります。


         横浜漢点字羽化の会に参加して
                      横浜漢点字羽化の会  宮澤義文

[宮沢さんは昨年秋の、横浜の会員募集の講座にご応募下さり、既に本会の欠かせない力となって下さっておられます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。]

 「漢点字のボランティア、漢点字って何かしら」と云われてから半年が経ちました。
 一年ほど前会社を退職し、これといった趣味もなく、暇をもてあますようになった頃。外出すると、老年層の人がやけに目につくようになったり、「席にお座りください」と席を譲られたり、まだ若いつもりでいたのですが、このように見られるようになったかと…、真剣に「何かしないと」と思い。私に出来るボランティアはないかと、社会福祉協議会に出向いたり、インターネットで検索したり、そこで、NHKボランティアネットで漢点字講習会が目に止まりました。妻が、以前仮名点字をしていたこともあり、身近に感じました。仮名と違い、漢字は見れば、いや、触れれば意味がわかりやすい利点がある…続けられるかどうか…講習会を受けることにしました。
 3回の講習を通して、漢点字の成り立ち、まだまだ普及させなければならないこと、漢点字を待ち望んでいる人がいることを知り、また、パソコンを使い一定のルールに従い入力し、漢点字化を試みました。
 講習終了後、斎藤茂吉歌集を7人で漢点字化に取り組むことになり。文語体の歌集に四苦八苦しました。入力マニュアルを見ながら、判断に迷いながら、入力し、皆さんの校正を受けミスの多さにいい加減な自分を再発見?皆さんの正確さが、いい刺激になりそうです。完成版を手にするのが今から楽しみです。「常用字解」や機関誌「うか」の漢点字散歩をめくると、形声文字、表意文字、会意文字等懐かしく、又、新鮮に心に響き、文字の楽しさを再発見させられています。
 定例会や、新年会等を通して、やっと、名前と顔が一致するようになりました。今は、マニュアルを参考に、パソコンへの入力、また、印刷の手伝いなど活動しています。「私にできるかな」という一抹の不安がありますが、一歩踏み出して、続けてみようと思います。これからは、経験を積み重ねて、いろいろな分野の漢点字化に参加させていただき、また、入力から校正・編集・印刷・製本・発送(納入)等一連の作業にも関わりたいと思っています。
 「毎日が日曜日」だからこそ、今始めたボランティアと散歩や旅行など日常のたわいのないことで楽しみや、喜びを見いだしながら、「いま」を大切にしたいと思っています。
 このボランティアが長く続き、年老いたときによい思い出となって、笑って話が出来るよう、自分なりに精を出してみようと思っています。


       「羽化の会に入会して…そしてこれから…」
                        横浜漢点字羽化の会  飯原智子

[飯原さんは、一昨年秋に横浜で行った、会員募集の講座にご応募下さり、活動にご参加いただいております。誠に貴重な、新しい力のお一人です。]

 羽化91号の発行おめでとうございます。私自身は、1年半ほど前から参加させていただいておりますが、実際には積極的な活動ができている状態ではありませんので、このような記念号に文章を載せるなどお恥ずかしい限りです。
 今年はこれでもかと思うくらいに寒い日が続き、ようやく春の訪れを感じる芽吹きを目にすることができるようになりました。寒かった分花々達も待ちに待ったと言わんばかりに勢いを持って開花しているようです。穏やかな春ではありますが、最近の日本は考えさせられることが尽きない状況です。首都圏での社会生活は通常に戻ってはいるものの、1年前の震災からの復興も目に見えて進んだという感には程遠く、現地で生活される方々にとってはまだ辛い日々が続いています。羽化の会の活動にも言えますが、自分が関わらない限り触れることのない世界は非常に広い範囲に存在していて、その世界に踏み行っていくことには常に高いハードルがあります。私自身の15年を振り返ってみると、日々の生活に追われる毎日で自分のことに精一杯でした。ふと振り返ったときに、自分にできることは何であろうかという問いに答えは見つからずに過ごしていました。
 羽化の会との出会いは、たまたま目にした新聞記事の講習会案内でした。そして、講習会に参加し、良く分からないまま入会し、少しだけ入力のお手伝いをさせていただいて今に至っています。参加するまでは、ボランティアってどのように活動するのか、仕事の合間に参加することなどできるのだろうかと不安な気持ちが一杯で、現在でも中々時間が取れずに落ち込むこともありますが、ようやく少しだけペースが掴めてきたところです。まだ出来ることも限られており、どちらかと言うと足手まといの感はぬぐえないのですが、まずは参加することが一番と考えるようにしています。未熟ではありますが、皆様のご指導のもと継続して活動に参加できればと思っておりますので、これからもよろしくお願いいたします。


        「うか」15年…感無量
                        横浜漢点字羽化の会  木下 和久

 私がこの「うか」の編集を前任者の宇田川幸子さんから引き継いで、すでに6年を過ぎました。号数にして37号分です。これだけ長期間、編集に携わってきて、作業に慣れたといえばそうですが、いかにもマンネリ的になったのではないかと、反省しきりです。
 更に、皆さんお気づきのことと思いますが、表紙絵を担当して下さっているのは岡稲子さん。この方が表紙絵を担当して、毎回新しい絵を提供して下さっていますが、数えてみたら第21号から1回も欠かさずずっとで、満12年にもなろうとしています。
 毎号欠かさず主要な記事を提供して下さる代表の岡田さん、創刊号に近い初期の頃から欠かさず内容豊富な原稿を下さっているあずま図書館の山内さん(もと緑図書館勤務)、例会報告とともに素敵なエッセイを書いて下さる木村さん、毎回丹念な学習会報告を書いて下さる菅野さんなどの常連執筆者の存在によって、この機関誌が存在し続けてこられました。本当にありがとうございました。この15年という長い年月の経過を振り返ると、感無量の思いを強くします。
 今後も更なるご協力を御願いいたします。

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