「うか」072  トップページへ
 漢点字訳書紹介
           漢字の歴史と[説文解字](2)
 前号に引き続き、白川静先生が書き下ろされて、同書の最後部に収録されている「漢字の歴史と[説文解字]」の後半部をご紹介します。

    四  [説文解字]
 [説文解字(せつもんかいじ)](以下[説文(せつもん))]という)は、後漢の許慎が篆文・籀文・古文、その他当時見ることのできた資料によって、その字形を研究し、九三五三字を五四〇の部首に分け、その部首によって字形を説明するという方法をとった字形の研究書である。また六書(りくしょ)によって文字の成り立ちを説明し、その字の意味を述べている。字形の研究としては最も早いものであり、またその後、この[説文]に匹敵する研究はなかった。
 秦が滅亡して漢の時代になると、散逸していた古い文献を蒐集(しゅうしゅう)・整理することが行われ、古い字形に対する知識が要求されるようになった。[説文]はその要求に応(こた)えるとともに、文字の全体がまた存在の秩序のあり方と対応するというので、当時の天人合一、陰陽五行の思想に本づいて、一より発して三となり万象となり万物はまた十干・十二支によって循環するというので、最後に十干・十二支の字で収束するという方法をとった。文字の全体を、一種の自然観に合致する思想の体系をあらわすものとして説明する。やがて[説文]の原本は失われたが、北宋(ほくそう)時代の九八六年、徐鉉(じょげん)が[説文]を校訂して(書物の文字・語句の誤りを正して)[説文]の校訂本(大徐本(だいじょぼん)という)を作った。本書の解説に引用した[説文]は、その校訂本である。

    五  六書について
 漢字の構成法について、[説文]の叙に六書(りくしょ)、つまり六通りの漢字の構成法が説明されている。六書とは象形・指事・会意・形声・転注・仮借(かしゃ)で、[説文]にはそれぞれその説明が加えられている。
 象形とは、ものの形をそのまま象(かたど)ること、ものの形を写し取ることである。[説文]は例として日・月の字をあげている。日はまるい太陽の形の中に、中がからっぽの輪ではなくて中身があることを示すために、小さな点を加えた。月は、月が満ち欠けするので三日月の形にしるす。大は手足を広げて立つ人を正面から見た形、女は手を前で重ねて跪(ひざまず)いている女の人の形である。
 指事は見てすぐ理解されるように、事物の関係を示すものである。[説文]は例として上・下の字をあげている。上は掌(てのひら)の上に指示の点をつけて掌の上を示し、下は掌を伏せ、その下に指示の点をつけて掌の下を示し、それぞれ「うえ」と「した」の意味を示す。このような事物の関係についての表示を指事という。
 会意は二つ以上の字の要素、象形や指事の字を組み合わせて、新しい意味を表すものである。[説文]は例として武と信の字をあげている。[説文]十二下に戈(ほこ)を止(とど)める(兵戦をやめさせる)ことを武というとする。信は[説文]三上に「誠(まこと)なり」とする。このような[説文]の解説には、会意について必ずしも適確でないものがある。武は戈(か)と止(趾(あしあと)の形で、進むの意味がある)とを組み合わせた形で、戈(ほこ)を持って進み、戦うときの歩きかたであるから、「いさましい、たけし」の意味となる。信は人と言(神への誓いのことば)とを組み合わせた形で、神に誓いをたてた上で、人との間に約束したことを信といい、「まこと」の意味となる。
 形声は音符によってその字の音を表すものである。川や水の関係の字はさんずいを字の属する分類を示す限定符として、それにその字の音符を加える。[説文]は形声の例として江・河の二字をあげている。江は音符は工(こう)で、古くから長江(揚子江(ようすこう)ともいう)の意味に用いる。河は音符は可(か)で、黄河であり、北方の川であった。象形や会意の方法では表しがたい山河・鳥虫・草木などの事物の名は、だいたいこの方法で表す。木の名は木偏(きへん)金属製のものは金偏(かねへん)をつける。木や金のように部首とされている字には、そのような分類を示す限定符として用いられているものが多い。
 形声の字には限定符を後になって加えた字がある。たとえば、申は神(かみ)のもとの字、土は社(やしろ)のもとの字であった。申は稲妻(いなずま)の走る形、土は縦長の饅頭形(まんじゅうがた)にまるめた土を台の上に置いた形で、ともに象形の字である。しかし申が「のびる」の意味に、土が「つち」の意味に用いられるようになり、字の意味が分化してくると、本来の「かみ」、「やしろ」の意味を限定するために、示(神を祭るときに使う机である祭卓の形)を加えて神・社とした。[説文]では神・社をともに会意の字としているが、甲骨文字や金文では申を神・土を社の意味に使用しており、示はのちに付け加えたものであることが知られる。それで申(しん)・土(ど)は音符(声符ともいう)として用いられているだけではなく、その意味を含めて使われているので、このような関係のものを亦声(えきせい)という。
 転注については、[説文]に「建類一首、同意相承(あひう)く。考老是(これ)なり」と説くが、その意味があまり明らかでなく、研究者の間にもまだ一致した解釈は得られていない。[説文]では、部首の老部に収める字については、壽(寿)・考・孝など十字すべて「老の省(せい)に從(したが)ひ、聲(かうせい」のような形式で説明している。このことから考えると、たとえばふくらんだものを(ふく)といい、ひとつながりに連なったものを侖(りん)といい、・侖を字の要素とする字に一貫した意味が与えられているというような関係の字を転注というと解釈することができよう。同じ音符をもつ多くの字が、その音符のもつ意味と音とを共有するという関係が転注である。いわゆる六書の中で、他にこのような関係の字を一類とする規定がないからである。
    (ふく)(せまる)・副(そう)・幅(はば)・輻(ふく)(車の矢)
  侖  倫(兄弟など、なかま)・淪(りん)(さざなみ)・綸(りん)(より合わせたつりいと)・
     輪(車の並んだわ)
このような関係を「同意相承く」と規定することができると思われる。
 仮借については[説文]に「本(もと)、其(そ)の字無く、聲(せい)に依(よ)りて事を託す」として、令・長の二字をその例としてあげている。令は深い儀礼用の帽子を被(かぶ)り、跪(ひざまず)いて神のお告げを受ける人の形で、神のお告げとして与えられるものを令といい、「おつげ、いいつける」の意味となる。これを命令者の意味とする。長は長髪の人の形で、長髪であるから、「ながい」の意味となる。これを長老の意味とする。仮借は、字形として表しがたいものを、同じ音の別の字の音のみを借りて表すことであるが、令・長は音のみを借りた字ではない。このような意味の関連があるものではなく、たとえば代名詞や方位の名のように、はじめから字形として表すことができないものを、同じ音の字を借りて表すことを仮借という。我はもと鋸(のこぎり)の形、余はもと把手(とって)のついた長い針の形であるが、我と余をそのもとの意味とは関係なく、一人称の「われ」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借の用法である。東は上下を括(くく)った(ふくろ)の形、西は鳥の栖(す)の形であるが、方位の名の「ひがし」と「にし」の意味に用いるのは仮借の用法である。仮借は字の構成法ではなく、字の用法をいう。

 以下、[説文解字(せつもんかいじ)]のほかに、解説本文中に引用した主な文献についても簡単に紹介しておく。
 [詩経(しきょう)]  紀元前九世紀〜前八世紀ころを中心とした、中国の古代歌謡三〇五篇(へん)を集めた書。各国の民謡や貴族社会の儀礼・宴遊歌、周・魯(ろ)・商の廟歌(びょうか)。
 [書経(しょきょう)]  尭(ぎょう)・舜(しゅん)の神話時代から周代までの記録を集録した書。[詩経]に次いで古い文献。
 [周礼(しゅらい)]  周代の官制を中心とした制度を述べた書。
 [礼記(らいき)]  祭祀(さいし)・儀礼・喪葬・教学などの礼に関する記録。
 [春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)]  魯国の編年史[春秋(しゅんじゅう]のために左丘明が著した伝(解説)。史実を詳しく述べている。
 [論語]  孔子とその弟子たちの言行を記録した書。孔子の言動には、そのすぐれた人格を思わせるものが多く、のち儒教の経典(けいてん)とされた。
 [孟子(もうし]) 戦国時代の魯の孟軻(もうか)の編纂(へんさん)した書。
 [爾雅(じが)]  漢代に成立した中国最古の字書。古い経伝(けいでん)の注を集めて、字の意味などを記している字書。
 [広雅]  魏(ぎ)の張揖(ちょうゆう)が著した訓詁(くんこ)形式の字書。[爾雅]を基にし、これを増補したもの。
 [玉篇(ぎょくへん)]  顧野王(こやおう)(六世紀の人)が著した字書。[説文解字]を増広し、一万六九一七字を収める。字形の説明はなく、音と意味を記した字書。
トップページへ