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   村田先生の天津講演から
         〜 中国における漢点字の可能性 〜
                             横浜国立大学   村田忠禧
 以下は、村田忠禧(横浜国立大学人間教育科学部教授)先生の、天津・南開大学でのご講演から、漢点字に関係する箇所の骨子です。

 今は中国側に日本に漢点字という点字体系が存在すること、そしてそのアイディアを活用すれば中国語でも漢字を表現できる点字体系を作ることができること。そして日本と中国との間ではそれらの点字データの交換が可能になればよい、ということを伝えていくことが必要と思って、とりあえず「遊説」活動をしているところです。

 漢字を表現する点字

 形に囚われずに文字としての機能を極限まで発揮させた文字がある。目に見える文字の世界では簡体字がそれに近いといえようが、実は日本には漢点字という文字体系がある。これは点字という突起の有無で漢字を表現する文字体系であり、まさにデジタル式の漢字表記の極限形態である。漢点字とは大阪府立盲学校の教諭をしていた川上泰一(故人)が発明した漢字を表現できる点字体系である。
 点字は日本語でも中国語でも通常は発音しか表現しない符号体系とされている。縦に3つの点が2列ならんだ6つの点の集合なので、最大でも63のパターンしか存在しないためである。点字とは点の凹凸による触読文字であるため、触覚による識別能力との関係で点の数を無制限に増やすことはできない。川上が考案した漢点字のもっとも独創的なことは、左側の列の点字(1、2、3の点)の上に一つの点(ゼロの点)を加えることで漢字の開始を、右側の列(4、5、6)の上にもう1つの点(7の点)を加えることで漢字の終了を意味する、と決めたことにある。このため8点からなる点字ではあるが、触覚的には6点かな点字と大差はない。
 漢点字とはどういうものかをもっとも単純な事例で紹介してみよう。かな点字での「め」は6つの点すべてが突起する状態で表現するが、そこに漢字の開始と終了を意味する点を加えた場合(つまり8点すべてが突起状態)は「目」という漢字を意味する。ゼロの点(開始)が加わっただけなら「目偏」を、7の点(終了)が加わっただけならば、「目の旁」を意味する。同様に、かな点字における「き」は1、2、6の点で表示する。そこに開始と終了が入った0、1、2、6、7の点字は「木」という漢字になる。0、1、2、6だと漢字開始符号があって終了符号がないので「木偏」を意味する。そこで0、1、2、6(木偏)と1、2、3、4、5、6、7(開始はなく、終了のみあるので旁の目)との組み合わせで「相」という漢字となる。
 ここで紹介した事例はもっとも単純な場合にすぎない。現実の漢字もすべてこのように単純な偏と旁の組み合わせでできているわけではない。漢字は象形、指事、会意という造字法で誕生した基本的な漢字を基礎にして、形声、転注、仮借という方法で複雑で多様なものへと発展していった(六書)。なかでももっとも多いのは形声という合成の仕方であり、形声でほぼ八割の漢字が成り立っている。この漢字の成り立ちの本質を非常に巧みにとらえ、それを点字という8点(実質的には6点)の点字符号の世界で漢字を体系的に表現した川上泰一の独創性は大いに称賛するに値する。
 2組のパターンの組み合わせ(63×63)で原理的には3969の表現が可能である。これまで紹介した通り、常用的な漢字は日本語では3000字以内、中国語でも4000字前後で足りる、という現実を踏まえるならば、日本語だけでなく、中国語でも点字で漢字を表現することは十分可能であることが推測できる。現実の漢点字は3組のパターンまであるので、それで表現できるパターンは理論的には漢字の総数より多くなる。
 私はかつて横浜国立大学に入学した全盲の学生からこの漢点字の存在を教えてもらった。かなの世界だけでなく、漢字の世界をも漢点字を通して知ることのできるこの学生は中国語を第2外国語に選択し、漢字の大海を実に積極的に探検した。市民のボランティア活動の支えもあり、パソコンで漢点字を扱うことのできる環境があることがそれを可能にした。
 中国語にも日本の漢点字に類する点字があるのか、北京、台北、香港を調べてみたが、いずれも発音を表示する点字しか存在しなかった。それだけでなく、同じ北京語の表音点字でありながら、北京と台北では点字表記が異なっている。また香港の点字は広東語であるため、北京語の点字とはまったく違う。漢字を表現できる点字が中国語にもあればこのような不便は発生しない、とつくづく思った。
 そこで点字の世界は字形には関係しないのだから国際的に共通する漢点字(国際漢点字)というものを作ればよい、と考えて、その必要性と可能性について論文を書いたことがある。その後、私の考え方には修正すべき点があることに気づいた。言語の違いを無視して国際的に共通する漢点字を主張するのは、やはり実際に点字を使う人の立場に立っていない不適切な論断である。日本語の漢点字は日本語の特徴にもとづいて成り立っている。中国語の漢点字も中国語の特徴にもとづいて作ればよいのであって、大切なことは相互に情報交換できる点字体系とすることにあるのだ。日本の漢点字を参考にして、ぜひ中国語漢点字を作るべき、と今の私は考えている。また日本の漢点字も改良すべき課題があるだろう。ともかく日本と中国で知恵を出し合って共同して漢字を表現できる点字体系を作ることが必要と思われる。それが実現できれば漢字文化の新しい発展となるし、漢字を誕生させた中国語への「恩返し」にもなりうる。21世紀の漢字文化はまず点字という形に囚われない世界で新しい展開が見られるのかも知れない。それが突破口となって、漢字文化圏の問題を一緒に考える機運が高まることを期待している。
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